カウンセリングやグループワークなど、私のところに来られて話し出すとたちまち涙あふれたり、嗚咽する人も少なくないけれど、どちらかというと、男性より女性の方が感情が表出しやすいようです。男性ももちろん、涙する人もいますが、比率としては女性ほど多くはありません。
これはおそらく、めめしい、泣くな、にやけるな、などなど男性の方が感情表現を抑圧される傾向が強いのだろうと思います。ただ、怒りの表現に対して、女性は抑圧を受けやすいけれど、男性はそれほどではない、ということもあり、男性は怒りの感情を出しやすいということもあるでしょう。ここらあたりも男性はDV加害者になりやすいという原因のひとつかもしれません。
先日も、ある女性は、来談室に来られてたちまち嗚咽をこらえきれずにいました。私は特に反応するでもなく、しばらく見守らせていただきました。しばらく、不安や恐怖の緊張の中で過ごされてて、私のところでいきなりその緊張が解けて、抑えてた悲しみや不安があふれたのでしょう。
感情に蓋して平穏を装うのは、一見問題がないように見えるけれど、その関係の歪みや心の不満はより鬱積して問題が大きくなってしまいます。
抑えきれなくなった感情は、強い圧力となってやがて何らかの問題として表出します。その時は他者との関わりや平穏な暮らし、相互信頼など多くのものを犠牲にしてしまいかねません。そうなるまえに私のところに来てくれたら・・・
世間では、感情をあるがままに受け入れ、言葉にし、人に伝える・・・この対人関係の基本について、なかなかその意味が理解されず、感情は現さず、冷静に思考し判断することがさも、優れているかのごとく言われます。
ただ、感情を伝えることと、感情的に伝えることは全く違うことで、その辺りを理解できている人もまた多くはありません。感情的に伝える人は、自身の感情について理解しているわけではありませんから、自分の感情を伝えることはできず、感情に支配されて他者に向けて、あなたメッセージで、相手に感情をぶつけてしまいます。
感情に支配されていなければ、その感情を冷静に言葉で私の気持ちとして私メッセージで伝えることができるので、相手を攻撃する言葉にはなりにくいものです。
というわけで、どんな感情も否定されることなく、受け入れられ、その感情をめぐる、状況や認知、情動などについて、自己洞察してもらいます。そこから、自分の問題を終わらせ、自己成長のための歩みが始まります。
けれど、自分の問題を抑圧してるにもかかわらず状況が問題を問題としなかった時、問題は隠蔽されたまま、歪みは鬱積していきます。大きな権力を持つものがそうなると、やがて大きな社会的な災厄をもたらしかねません。
そ、あべちんは自身の劣等感を抑圧し他者を権力で支配することで問題をないものにしています。こんなクソのような人格がクソのような判断をしてもその権力にすり寄る人たちは臭いとは言わず、クソの言動を褒めそやし自身もおこぼれにあずかろうとします。やがて国民が巻き込まれていくんだけれど・・・その先の不幸についてはいまだ多くの人は考えようとはしないいし、他人事で済ませています。
実はいまの様々な家族の問題や個人の問題も、こうした権力者の問題に向き合わない国民自身の問題と言えなくもありません。七十年前にもっと徹底的に、権力の問題とむきあっていたら、今の問題も避けられていたはずなのにね。一億総懺悔、無条件で白旗あげたのに・・・少しずつ、クソが息を吹き返してきて・・今は国会も財界も司法も警察も教育もクソだらけ・・嗚呼
先日疎水コースをランニングしてた時に見かけた鹿のフン。こんなクソは可愛いけれど・・
こんなクソは教育的だけれど
少なくとも永田町周辺にたむろするクソたちは、かわいくもないし害悪そのもの、早く土中に埋めるか、焼いて灰にすべきだわ。