他者の批判や攻撃にも揺るがない自己信頼があれば、嫌われることが怖くて自己を否定するような言動はしなくて済みます。けれどそんな自己信頼の力は自分一人でできるものではありません。マズロー風に言えば、愛情や承認の欠乏欲求が他者のケアで満たされない限り、心の成長は難しいということ。
生育の中で愛やいたわりを求めても、暴力的支配や差別ばかりを体験したものには、愛を求めながらも求めることで傷つくというアンビバレントな葛藤や恐怖の中で生きることが日常になってしまいます。
傷つくことを恐れるがゆえに相手に支配されることを恐れ逆に相手を支配することで安心を得ようとします。支配が相手を傷つけることには思い至らず、自らは相手に見捨てられるという不安にさいなまれます。
この複雑な心理は本人自身にも理解不能でしょうし、悩みの本質的対応にも向いません。自分の気持ちが定まらないのは全て相手の言動だと理解することで自分の葛藤を回避します。自分の問題とは理解していませんから、自分を変えるための行動や選択にはつながりません。
私のところにつながってくる当事者、それが男であれ女であれ、パートナーの理解不能な問題行動の背後にはこうした心理的な背景があることを説明することで、善悪では理解できない現実を理解することもできますし、本質的な問題解決への道筋も見えてくるというもの。
今日の女ワークに参加されてたある女性も、パートナーの理不尽な暴力暴言に対して、あるべき夫像を善悪を持ち出して押し付けるのではなく、自分の気持ちと感情を丁寧に振り分け、相手の気持ちにも極力配慮した手紙を送ることで、少しずつ対話の糸口が見えてきそうだと話されていました。
そのパートナーの男性だけではないけれど、自分の問題行動の原因を相手に転嫁するのではなく自分の問題として受け入れ、自分と向き合い、自分を変えることで関係を変え、自分も成長していくことができればいいけれど、それはとても難しいということが語られました。
加害者支援を受けいれることでその第一歩になるけれど、その一歩を踏み出すのも、そんな葛藤の渦中にある人には難しいよねって。それは男女に限らないけれど・・・。
昨日は雨の中、事務所前の交差点でワゴン車が横転してました。人生何が起こるかわからない。いつ何がおこってもいいように、自分には正直でいたいし、誰かのせいにしたくもないね。