今日は午前中から、メンズカウンセリングの認証研修会でした。いわゆる事例検討会みたいなもの。メンズカウンセリング協会会員がそれぞれの援助実践を持ち寄り、援助が適切だったかなどを話し合い、それぞれのスキルアップを目指すのと、会員がそれぞれの支援の中で孤立して疲弊したり、悩みを深くしたりしないように、支援の苦悩も喜びも会員仲間で分かち合うことを目的としています。
ここまでは、どこの援助組織も普通に行っていることだろうと思います。けれど、メンズカウンセリングの事例検討が他の組織と違うのではないか、と私が勝手に考えることは、援助の現場でも事例検討の場でも、権力構造を極力持ち込まないということ。
援助実践が正しいか誤りか判定し指導する者はいないし、クライアントにセラピストの援助論を押し付けることをよしと語り合うこともありません。
むしろ、援助の中に投影される自身の問題を隠蔽したり、クライアントに転嫁したりすることなく、見えてきた自身の問題と向き合い、その事実を仲間に語り、クライアントと援助者が同じ問題を抱え、ともに育ち合う存在であることを確認します。そうです、当事者性の確認です。
当事者の独特の、時には異常な世界にひるむことなく、その物語世界に分け入り、当事者と回復の人生物語を紡ぐセラピストであるためには、セラピスト自身の確固たる自己信頼感と、その自己信頼感を育てる仲間の存在と・・・
知識や権威、資格や認定を持つだけでは、その知のパワーでクライアントをコントロールして自己防衛する、お粗末な支援者になりかねません。専門知を必ずしも否定はしませんし、それも時に大切です。けれど、それはクライアントの体験知に勝るものではないという謙虚さをもち、クライアントの体験や人生から学ぶ姿勢を失わないでいられてこそ、意味を持つというもの。残念ながら今のアカデミズムのあり方からはそれは期待できないのではないか、そんなことをあらためて感じた私です。
それにしても、今日の研修会も中身が濃くて深かった・・当事者が回復するには、どんな深い闇にも降り立ち、寄り添いあゆむことに怯まないセラピストの存在が不可欠だけれど、そんなセラピストが育つには、今日のような集まりをくり返していくしかないよね・・・
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