今日はインターネットラジオでたまたまクラシックの名曲を流してた局を見つけました。何気なくきいてたけれど、昔々私が中学生や高校生の頃に授業で「歌わされてた」曲がいくつも流れたり、私が好きな女と一緒に聞いてた曲が流れて、私の心がどんどん高揚していきました。ショパンのノクターンのあとなんとカッチーニのアベマリアを聞いた時に、私の情動があふれたのか、私は涙しうっすらと嗚咽さえしていました。この感情はなんなんだ!?悲しいのではなく、嬉しいわけでもなく、とても言葉に表すのは難しいけれど、強いて当てはめるなら、深い満足とか感謝でしょうか。
今の私は前立腺癌の一応ステージ4で、ホルモン療法で癌の進行を抑えている状況。腫瘍マーカーの数値は徐々にあがってはいるものの、今の所転移が進んでる様子でもなく、けれど少しずつ歩行の際の痛みが増してきつつある状況・・これから、どうなるのか余談は許さないけれど、私なりにあれこれ抗癌生活を考えています。
こんな私、不安や悲しみはなく、ただ、残された仕事について思い巡らせる日々。若干の焦りは感じつつも、日々を楽しく充実して暮らしてます。ただわずか満たされないのは老いらくの恋心・・・なんとかしたくはあるけれど・・。
それにしても、私は音楽についてはとんと不器用で、学生の頃多少管楽器をいじってたことはあるけれど、演奏についてはまったく才能がないと理解し、早々に演奏からは身をひいていました。
けれど、音楽を聞くことに関してはなぜか日常的に楽しむ私がいて、貧乏学生の頃も一枚2000円ほどのレコードを毎月数枚買い足していました。音もいい音を楽しみたくて手作りの大きなスピーカーを作って楽しんでいました。このレコードやスピーカーは今も現役で私を楽しませてくれています。
流石にいちいちレコードを鳴らすことは滅多にしなくなったけれど、CDやネットラジオで私好みの静かなクラシックやスクリーンミュージックを鳴らしています。
かように、私の日常は音楽に満ちていると言っても過言ではないし、私が素敵な曲を楽しんだり、感情が溢れる・・そんな情感を育ててくれた中学校や高校時代の音楽教師・・世良先生や愛子(よしこ)センセには今更ながらに感謝だし、私と音楽の楽しみを分かち合ってくれた私の愛した女たちにも深く感謝の日々です。
アルコール依存だった私が涙しつつ聞いてたラフマニノフの晩祷と35年ほど前に、私が愛した女からプレゼントされたウォン・ウィンストンのFRAGRANCEのジャケット。いまもときどき楽しんでます♫感謝とともに。