DVやモラハラ、デートDV等の暴力問題・家族を巡る不安や問題のためのカウンセリング・ワーク・シェルター等の複合的支援を行っています。

日本家族再生センター

支援・援助論

学べ・・・当事者から、事例から・・・

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今日はメンズカウンセリング協会の認証研修会でした。世間でいう事例検討会に近いものでしょうか。会員それそれの援助実践を報告し学び合い、支援をより良いものにしたりリスクを分かち合ったり、という目的です。

もちろん、スーパーバイズの機能ももたせていますが、権威者が教えるとか指導するという構造にはしていません。一人一人が当事者でもあり、援助者でもあり、みんなが平場で関わります。知の権力構造にはしていません。

私たちは学校教育の中で、知識は上から下に伝わるものと教えられてきました。知識を持ってるものが上であり権威者で、知識の無いものは劣る者という価値観です。

けれど、その知識が正しいかどうか、どれだけ意味があるのか無いのか、じつは検証もされないし意味づけることも無意味です。理論も学説も常に変化しますし、意味も社会とともに変遷していきます。

ましてや、個々人の体験や感情について、数値化することも他人が意味づけることも不可能です。一人の体験や感情は莫大な量の体験知を伴っています。

子供の頃、LDの私が問題だったのではなく、アホな私が理解できるような教育をなしえなかった教師の教育者としての能力不足が問題でした。児童であった私はマジでセンセの問題と考えていたから、教師の指導に従うことはなかったし、勉強もせず、遊んでいました。それで良かったのです。教師に教わることよりはるかに多くのことを遊びを通じて学んだように思います。いまもその価値観は変わりません。

昨今、教育現場以外でも発達障害という言葉が流行ってて、何でもかんでも発達障害、大人も子供も問題あり、さあこのお薬を・・と、ラベリングされてカモられています。けれど、私に言わせれば、発達障害と言うべきではなくて、機能不全教育障害というべきで、教育者・養育者の機能不全が問題です。

もちろん、教育者、専門家などの持つ専門知も無意味とは言いません。それはそれで必要です。が、そこに権威は不要です。専門知もそれなりに書物から得られるし、権威を必要としなければコストもわずかで済みます。

そんな専門知よりも、個々の人生、個々の体験から得られる知識のほうがどれだけ実践的で面白いか・・。

結局人生を豊かにする、あるいは回復に寄与する知識というのはトップダウンで得られるものではなくて、異質の他者が、語り合い、分かち合い、触発し合うことで得られるのでしょう。そのためには一人一人の体験や存在が尊重され、対等に扱われることが必要です。

ということで、認証研修会にしてもグループワークにしても、平場で円構造の配置での語りの場にしています。

とかなんとか・・で本日の研修会では主に離婚や引き離しに関する事例を中心に語り合いました。法律の問題、司法の問題、支援者の知識やスキルの問題などが語られました。何れにしてもお粗末です。欧米からは半世紀遅れていますし。江戸時代の庶民から比べても、今の日本は遅れてるのでは無いかと感じてしまう私です。

 

研修のランチはカレー、デザートはバナナタルト

 

江戸時代、庶民は離婚再婚は当たり前、不貞の概念も薄ければ、同性愛もごく当たり前、夫も妻も別財産。今の日本、かなり江戸時代に近づいてきたよ。アナクロな家族幻想を叫ぶバカな政治家には受け入れられないことだろうけれどね。現場で支援してたらよく分かる。

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