私が高校生の頃、坂村真民の「念ずれば花ひらく」の言葉に出会いました。不安発作の恐怖から逃れるためにいつもアルコールを手放せずにいた当時の私にとってその言葉は、不思議だけれど、忘れられない言葉として心に刷り込まれました。
社会不適応な自分に対する不安や死ぬほどの恐怖に囚われてしまう発作時のつらさを日々感じる私にとって、花ひらくことなんて信じられないし、念ずることの意味もわからないままの日々でした。
結局、不安から解放されるには十五年ほどの月日が必要だったし、解放されたのは私自身の力によってではなく、大いなる力・・・神の力と言っていいかと思いますが・・・・によって、自分のあるがままを受け入れ、死も含めて全てを委ねることで、やっと様々な苦悩から解放されました。
自分の意思ではどうにもならない現実に向き合い、それまでのように抵抗するでもなく、逃避するでもなく、ただ、念ずる・・・あのとき何を念じたのか・・自分の納得出来るまでのしばしの猶予が欲しくて、そのことをただ祈り、やがて自分の全てを委ねられた時に、それまでの不安や恐怖から解放されたように思います。
金や仕事や、家族や、肉体すらも、自分のものではないと全てを手放せたとき、自分の魂の所在が大いなるものにつらなるものとの確信を得たように思えたのでしょう。
この体験は自分の努力や思考で得たものでもないし、向こうからやってきたというのが正直な所・・・けれど、それまでの時間や体験も含め全てに意味があり、なるべくしてなった、必然のようにも感じます。
今の私は「念ずれば花ひらく」と自信を持って語るし、昨夜も「祈りは通じるし」と引き離しで子供に会えなくなった父親に語らせていただきました。子供に何もしてやれない・・ただ嘆くより、その現実の中でも、子供のために祈ることをお勧めしました。
何も変わらないのではなく、少なくとも自分の存在の意味はかわってきます。念ずれば花ひらくのだから。
今夜はグルメナイト・・・どんなことになるやら。わくわく。
四年ほど前のグルナイ風景