日本家族再生センター

ハードワーク無事終了・・・池袋セッション、カレー付き

昨日は池袋にて、朝イチから夕方までのフルセッション・・朝イチのミニゼミは「情動とセラピー」でした。

早朝の池袋、マクドで時間潰し

世間では加害者プログラムというと、教育プログラムだつたり、認知変容プログラムだったり、更生プログラムだったり・・いずれも、本人の意識に働きかけて、暴力の無意味さであるとか、犯罪性、その心理的由来・・などを教えて、本人の認知を変えて、本人が暴力を選択しないようにすることで、非暴力化させようとします。

要するにDVやモラハラは加害者本人の問題であり、本人が反省し、自己改革し、非暴力化することで、問題解決するという前提に立っています。確かにそういう側面もあるでしょうし、それで問題解決するケースもあることと思います。

が、私はこの考えとは全く違う考えで、当事者の支援をしています。DVであれモラハラであれ、そこで何が起こっているのか、当事者はなぜそう言ったことになったのか・・・加害者・被害者と言い募る前に、その本人の体験や思いをしっかりと聞くだけでなく、人生の物語として対話していくようにしています。

加害者が加害に至るには、その多くはかなりの被害体験があり、単純に加害者とは言い切れなくなります。また被害者にしても、相手のコントロールに依存したり、いきなり感情を暴発させたりすることで相手の暴力を誘発するという構造があり、単純に被害者とも言い切れなくなります。

ましてや、どちらが善人でどちらが悪人とか言うこと自体無意味ということになります。そう、加害被害の関係は単純ではないのです。要は関係の問題であったり、家族を取り巻く価値観の問題や経済の問題、法律や制度の問題も絡んできます。それを単純にあなたの問題であなたが責任を負い、あなたが自己改革すれば事足りる・・とは言えないのです。

はぁー・・前置きが長くなりました。ミニゼミのテーマです、「情動とセラピー」。フロイトが言うように、人間の意識は、意識領域と無意識領域があると考えますし、無意識領域は情動と言ってもいいかもしれません。この情動は無意識ですから本人はその存在に気づいてませんが、本人の言動はこの情動や情動を形作る体験や記憶が「動機」になっています。

ですから、いくら意識領域で脱暴力を学んだところで、瞬間瞬間の言動は情動に支配されているので、防衛が働いた時には情動が暴力的な言動を誘発するでしょう。刺激されて思わずやってしまった、反省している、記憶に残ってない、我慢しきれなくなった・・などなど、暴力を正当化するでしょう。

中には脱暴力を学び、暴力を使わず、ロジックや、経済力、権威を用いて相手を支配、コントロールしようとする「巧妙な加害者」に成り下がる人もいるでしょう。

こういったことから、情動を変えることでしか本質的な脱暴力には至らない、と言うのが私の考えです。これは加害・被害とわずです。その情動を変えるためにはその本人の情動とか認知とか、生育の中でプログラミングされてきたさまざまな神経回路を、あらためて書き換えていくということが必要で、生育以降のさまざまな体験を追体験しつつ過去体験とは違う身体感覚を体験していくことが不可欠。

そう、育ち直しです。知識だけでなく身体感覚を用いるセラピーということでしょうか・・。そのためには、本人の存在(情動ではあるが行動ではない)のあるがままを受容し、尊重するというプロセスが必要ですが・・・この辺りが、難しいところ、加害者を甘やかしてる、加害者の加害行為を認めてる・・としか見れない人も多くいるでしょうからねえ・・というか世間の多くの人はそういう人でしょう。

というようなことを・・・ナラティブセラピーの説明に合わせておしゃべりしました・・。その後のワークは「エピソードNo1 ビフォー&アフター」とか「マイストリー」とか自身の行動の奥底にある情動に気づくべく、自身の体験を俯瞰するワークを行いました。その後の女ワークはちょいと口直しに「一番輝ける日」なんてワークを。

それにしても、行きも帰りも三列とはいえ狭いバスシート・・右脚の痛む私にはけっこう辛い時間です。そんな修行のような池袋セッション・・なんとか無事終了・・これもいろんな方のサポートがあってこそ・・そんな方達はもちろん参加してくださった方たちにも深く感謝です。

 

ランチは優しいママの味           みんなで食べると楽しいおいしい!!

帰りの山科駅前の植え込みには彼岸花・・もう初秋だわ