日本家族再生センター

私って何?・・・コントロールを逃れたら・・

今日は女ワークでした。朝から時折激しい雨が降ってたりもしてて、参加者がいないかもー、なんて思ってましたが、久々の方や遠隔地からの方もこられて、こじんまりとした集まりになりました。

あまりに久々すぎて、みなさんいきなり話が弾んでフリートークに。それぞれの体験や感情やら思いやら・・語りはエンドレス。しばしば語られた言葉が、私は自分がどうしたいのかわからなかった・・と。

生育の中や夫婦生活の中で親や夫にパワーコントロールを受け続けると、問題を回避するために相手の顔色を伺うことが当たり前になって、自分の気持ちや考えには蓋をしてしまうことになります。長い間蓋し続けたら、蓋してることもわすれちゃうし意識しなくなります。

そんな方がDVやモラハラで私につながってこられて、ワークやカウンセリングなどの支援を受けることになり、やがて親や夫のパワーコントロールを拒否する力がついたり、別居や離婚でパワーコントロールを受けなくなります。

そんな時、ふと自分が何をしたいのかわからなくなったり、自分の考えはおかしいのではないかと妙に不安になったりもするようです。誰かのコントロールを受けていた方が楽だとの思いにとらわれたりすると、ややもすると援助者のコントロールに依存したり、別のコントローラーを探したりということになりやすいようですが、私の支援を受けている方達ですから、まずそのようにはなりません。

とりあえず、蓋してた自分の感情に気づき、その感情を受け入れ言語化することを促します。ある方は親に対する怒りを、ある方は夫に対する怒りを言葉にされていました。それが怒りであれ憎しみであれ、ネガティブな感情でも自分の心から湧いてきた感情だから大切にしたいもの。やがて悲しみやいつくしみや思いやりなど、様々な感情が溢れるようになり、その人の心がはっきりとしたものとしてその人自身に感じられるようにもなります。

感情は心のエネルギー、そのエネルギーがあれば自分なりの考えや行動も自然に発動されることになります。私はこうしたい、私はこうしたくない・・・いくらアサーティブな言葉を覚えても、心のエネルギーがなければ、心を表す言葉として言語化されることはないでしょう。

感情に気づき、受け入れ、言語化すること、それは一人ではできません。自分の感情を映し出す他者との対話や関わりが不可欠。もちろん、受容的共感的な場においてのことだけれど・・・そんな作業を何年もやってきてくれた今日の参加者たち・・おしゃべりの後・・・小雨がふったりやんだりする中、見送らせていただきました。これからの成長がまた楽しみです。

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