日本家族再生センター

加害・被害と傷つきの問題・・・ちゃんと研究してほしいね研究者のみなさん

昨日の女ワークオンラインとリアル参加合わせて七人だったけれど、テーマは「加害・被害・・・傷つきの間で」というところ。今日の男ワークも十人ほどの参加で、同じワークを。

加害被害の関係は個別なものでミクロな話。百の事例があればそれは百通り・・。それぞれ当事者しかその真実は知り得ません。どのような言動でどのような傷つきがあるのか・・一般論や善悪では語れません。マクロな基準をつくって、性被害を防止するというのも、一見正論だけれど、性の抑圧を強めて、人々から言葉や人間関係や恋愛関係の多様性を奪ってしまうでしょう。

傷つきの深い当事者は他者のどんな言動にも傷つきやすいし、傷つき体験がなく、自己信頼感の強い人は、他者のどんな言動にも傷つくことは稀でしょう。

で、他者がいわゆる被害者と対応する際に、傷つきを防ぐためにとあれこれ考え出すと、結局何も言えなくなってしまいます。で、傷つけたくないからそんな人とは関わりたくない・・となってしまうだろうし、そんなことを感じさせる人は採用したくないと判断するのもやむを得ないでしょう。

最近の若い人たちが、恋愛はしたくないし、結婚もしたくないという人が増えているのもそう言ったことと無関係ではないでしょう。

性被害を声高に訴え、ミクロな現実を無視していわゆる加害者的な言動を抑圧すればするほど、人々は分断され、いわゆる加害者であれそして被害者もそのことで傷ついてしまう・・そんな当事者も出てくるだろうけれど、そんな人は正論の前に何も言えなくなってしまいます。

ドゥヌーブが「いい寄る自由、いい寄られる自由もあるのだ」とMeTooムーブメントに釘を刺したのは賢明です・・まあ、その言葉で当事者が傷ついたのであれば当事者に謝罪すると、言ったことは確かだけれど、彼女は基本的な主張は変えていません。

というわけで、対人支援を行う場合、性被害であれ、DVや虐待であれ、加害被害の当事者に寄り添う時に、支援者の価値観や世間の常識、一般論を持ち出して当事者に押し付けることのないよう、常に自戒する必要があります。あなたは加害者です、反省しなさい・・とか・・あなたは傷ついてるのよ可哀想に・・とかこんなこと言ってたら当事者は、ドン引きしてしまいますよねぇ。

私の価値観や言動で傷つくかもしれないクライアントについて・・私は支援を遠慮したいし、クライアントを傷つけることのないように日々研鑽していきたいもの・・なんですよね、ほんと。