日本家族再生センター

遊ぼう・・・「遊び」を知らない大人たち

水曜、木曜と、ワークのお題は「遊ぼう」でした。ワークの前には、なぜ「遊ぼう」なのか、10年ほど前の日経サイエンス別冊の「心と脳のサイエンス」から、遊ばないとダメ・・なる論文を利用させてもらって、遊ぶことの意味をお喋りさせていただきました。

遊ぶことは、遊ばないことに比べ、よろしくないこと、無意味、無価値、と理解されがちで、大人も子供も、遊ばないで、勤勉であること、合理的であること、生産的であること、がより良いことと学習させられています。

けれど、動物でも(ある程度脳が発達した)人間でも、子供時代は遊ぶのが普通で、遊ぶのが進化論的に無意味なら、おそらく遊ぶと言うことがどんな動物でも人間でも普遍的に見られるということにはならないでしょう。で、遊ぶことの意味についてあらためて考えていただいて、自分の人生や暮らしにそれがどう言う意味を持つのか、たいそな言い方をすれば、人生の再構築に「遊び」を役立ててほしいと思う私です。

遊ぶことによって、脳内に起こる出来事・・予期せぬことに対する反応や、他者がどういう行動を取るか、偶然や、確率や、合理的に導かれる推論ではなく、多様で混沌とした現実に適応していくための、スキルや、自己信頼感を育てる神経回路を定着させることになるでしょう。そんな神経回路・・心がしっかり育っている子供は安定した人格になり、その機会を奪われた子供は素直で従順だけれど、危機に弱く、不安を抱えやすい人格になる・・そう言うことがいろいろ研究されているようです。

実際、私のところにやってくる、DVモラハラを起こした人は、真面目で几帳面、心に遊びがなく、不安が強いと言う傾向があります。一見頑張り屋さんで、それなりの社会的評価を得ている人が多く、ええ、そんな人が・・・と言うことになります。そう、御三家は、教師、医者、僧侶、これに警官がくわわったり・・。それだけで、DVモラハラが単に個人的なものではなく、社会的構造的な問題であることが推測されます。

で、そんな真面目な人たちに、再度、遊びを体験してもらって、心の育ち直しをしてもらおうと言うのが、昨日のワークでした。で、昨夜はね・・りっぱなおじさんたちが、紙吹雪を撒いたり、紙ボールでキャッチボールしたり、紙飛行機を飛ばしっこしたり・・・狭い部屋ではなくて、広い野っ原や、森や海辺で、彼らを遊ばしてあげたいと、ニンマリとしてた私です。

そんな私は子供の頃から、ほんと散々遊んできたし、今もずっと遊んでるので、いまさら、何か特別な遊びがしたいとは、あまり思わないのだけれどね。