日本家族再生センター

家族って何だ・・・妄想の絡み合い?

昨日の女ワーク、リアル参加オンライン参加合わせて七名の参加となったけれど、お題は「家族って何?」それに前回の東京ワークで行った「百万回生きた猫」の読み合わせと。家族って何だと聞かれたら、帰る場所とか、助け合いとか、育つところとか・・・いろいろ願いが語られるけれど、一方で、一番危険なところとか、支配されるとかいうリアルな意見もでたり・・。

現実には、多くの人は幸せを求めて家族を作るけれど、そのしんどさや不信感から、傷つけあったり、破綻したりするのもまた事実・・・。そこには、家族を作るための、相互理解や、それに基づいた綿密な契約とか、対話スキル、自己肯定感、などが必要だけれど、それらの確認もなく、家族を作れば幸せになれるという妄想だけで・・・しかもその妄想は・・百人百様・・なので、食い違い、対話不全、相互不信になるのは当たり前、といえば当たり前。

で、「百万回生きた猫」は誰にも支配されないこと、あるがままを愛しあえる家族の心地よさが暗示されてて、とてもいい物語だけれど、それはあくまで正論としての理解。実際には、相互理解の難しさやら子育ての際のしんどさやら、さまざまな欲望の多様性の不一致やらが一切語られてない、家族ファンタジー、恋愛妄想のぺらい物語・・とも理解できます。

実際、家族を営むというのは現代社会において簡単ではなく、それは個々人の問題ではなく、近代社会の行き着く当然の結果。その困難にどう向き合い、生きていくか、育てたり、傷つけたりしながらも、どう生き延びていくか、また関わりを持ったり絶ったりするその人間関係の難しさや、思いの深さの中から、人は家族することの意味やら、生きていくことの意味を見出すのかもしれません。このあたり、この前の男性会議での風水さんの語りに感じさせられることだけど。

となると、恋愛妄想から、家族する入り口にはファンタジーだけではなくて、それなりのトレーニングテキストも用意されるべきかな。「侵入注意」としてね。

 

そんなこんなを感じさぜられた、昨日の女ワークの後のランチはあんかけそばとデザートは紅茶シフォンケーキ。私はいとこんで代用でした。