日本家族再生センター

家族機能とセラピー・・・指導・教育は無意味

虐待にせよDVにせよ家族間暴力をなくすのは簡単ではないし、反省しても変わらない、プログラムは有効性も低いし無駄、とにかく厳罰化しかない・・との世間の価値観があって、防止法は何度か分離・罰則強化の方向で変えられてきました。私はこの変更を改正とは理解してないけれど。

それぞれの認知件数は年々、増加しているけれど、実数が増加しているかどうかは具体的な検証がなされていないから、なんとも言えません。虐待死は確実に減っているから、(半世紀前の十分の一ほど)虐待も減っているのではないかとの推測もできるけれど、確実なのは報道件数とキャンペーンの増加です。

家庭内暴力の実態について、詳しく調査研究したものがあるのかどうか、私は知らないけれど、少なくとも脱暴力支援についてまともな研究がなされていないということは、日々実感する私です。アメリカの研究では加害者プログラムの有効性は低いと言われているけれど、私の脱暴力支援の結果とは随分異なるので、アメリカの研究やらアメリカのプログラムの実態に問題があるのだろうと確信しています。

日本でも、某大先生が、自身の主催するプログラムも有効性が低いと言いつつ、そのプログラムを拡散しようとするバカっぷり。低いのならやめりゃいいのに、やめないのは、行政から金引っ張りたいんかなあとしか思えません。プログラムの利権構造化そのものの動きでしょう。そのプログラム、有効性が低いだけならまだしも、狡猾な加害者を生産するという弊害が危惧されるけれど、実際あるケースで、その結果被害を被った女性のお話を聞くことがありました。

こう言ったことは現場での実践でなければわからないことで、机上の空論で飯を食ってるセンセ方には理解不能なことでしょうけれど、残念なことに、マスコミはバカでもセンセのいうことしか聞かないからねえ。

さてさて、そんな私、現場で当事者がなぜ当事者になったか、どうすれば問題解決していけるのか、加害被害問わずさまざまな当事者とともに脱暴力へ向けてともに考え活動してきたけれど・・・結論として、家族間暴力は社会的な現象の一部で病理の根源は社会の差別権力構造であり、その病理が個々の家族に虐待やらDVやらという現象としての症状を呈するというもの。

ですから、対策としては社会の権力構造をセラピーに持ち込まないということにとどまらず、クライアントが体験した生育における暴力的関係の刷り込みを初期化すべく、生育の過程を追体験し非暴力な関係を体験することで、無意識下の情動部分に変化をもたらすことが可能です。

ここでセラピストに求められるのは、教えるとか指導するとかいう権力行使ではなく、自らの社会的権威を手放し、ただの一個人として未熟な魂に寄り添い、生育を促す母性的な機能です。

というわけで、私は非暴力プログラムでワークを行ったり、来談室でカウンセリングを行うだけでなく、身体感覚を含めた、クライアントの存在やクライアントとの体験を分かち合う・・そんな家族機能を含むセラピーをあれこれ模索しています。

というわけで、今夜もシェルター定食を食べたいという男性の依頼に気安くOKを出しました。今夜も、シェルターのいわゆる被害女性といわゆる加害男性が一緒に晩御飯を食べながらおしゃべりを楽しむという状況になりそうです。世間の常識では理解できない状況だけれど・・・知識でコントロールするのではなくセラピストが、育ち直しの母役割やら時には産まれ直しの産婆役を担うことで、真の脱暴力支援とすることができます。

このあたりのふかーいふかーい、現実の理解と対応について・・・世間では誰もできてない知見を知りたかったら・・メンズカウンセリング講座をのぞいてみてくださいねー。2/2京都です。

昨夜のシェルター定食は焼き魚定食でした。