日本家族再生センター

心は裁けない、家族を壊すだけ・・司法の現実

今日も胸痛むお話を聴かせていただきました。当事者にはとてつもない悲劇だけれど、そこに至るドラマには、様々なエピソードが重ねられています。

その一つ一つに、別の選択肢があり、どこかでその選択肢を選んでいたら、最後の悲劇には至らなくて済んだものを・・と、その一端に関わった私にも悔しさは残ります。

相手方の支援のあり方や、相手方の弁護士の態度、司法判断の不作為、法律の瑕疵、など、様々な問題がひとつひとつのエピソードを作ってきたけれど、どのエピソードも、私や私の支援した当事者の思いを汲み取ろうとしたものではありません。

一方的な思い込みや、誤った援助論、で、当事者同士の対話を阻害し、不信感や、不安を煽ることで、支援という名のビジネスが潤う方向にしか結論付けられません。

その中で、いずれの当事者も傷つきや不信感、不安を煽られ、家族の相互信頼はなくなり、家族解体にしか向かいません。そんな不信感や心の傷を抱えたまま、それぞれがまた新たな家族を再構築しようとしても、トラウマや、不信感は、また新たな家族の問題の再発へと連鎖してしまいます。

支援としては途切れぬお客様の出現で困りはしないのかもしれませんが、社会としても家族としても、当事者の人生としてもメリットにはならないでしょう。

本来なら家族問題に関して、離婚するにしてもしないにしても、相互理解と信頼を高める修復的な支援が求められるけれど、その視点での支援は往々にして、ビジネスとは相反する結果になるので多くの支援者は修復的支援には指向性を持たないようです。DVであれ面会交流であれ。

でもねえ、そこがなければ、司法でどんな結果になっても当事者は傷つくし、傷ついた理由さえわからず、相手に対する憎悪や不信感を高めることにしかなりません。ほんとは、修復的支援がないことが、しんどさ辛さの原因なのだけれどね。

幸い、冒頭で書いた辛い状況の方、私の支援を受け続けているから、感情に任せて、司法を舞台にした争いに突入するでもなく、悲しみに打ちひしがれて絶望するでもなく、淡々と状況に向き合い、冷静に自分や家族の最善を模索しておられます。その態度からは私も多くを学ばさせていただいています。

それにしても、裁判所も弁護士も・・・クソだ。関わるとろくなことにはならない・・書かずにはおられません。

冥福を祈りつつ