日本家族再生センター

依存をどうする

昨日は、恒例の日本橋セッションでした。

夜バスは未明の東京に

九時からのミニ講座では「依存」についておしゃべり。アルコール、薬物、ギャンブル・・などなど依存はよくないからやめましょう・・というのが常識で、やめさせるための支援もあります。

私はDVやモラハラなども、行為依存ともいえるし関係依存ともいえると考えています。そしてどんな依存に関しても、「やめましょう」と言っても簡単にやめられるものではないと考えています。

薬物に関して、依存は「寂しさの病」であるとの考えを論証した研究もあります。

https://ameblo.jp/narumin500/entry-12117476451.html

薬物に限らず、依存は、不安や孤独、恐怖などのストレスから自我を守ろうとする、自然な行為と言えなくもありません。また、同じ依存的行為が問題行動になる状況の人もいれば、問題にならない人もいます。例えば、パチンコにハマってるけれど、金があるから少々負けても問題にならない人もいれば、収入がないからパチンコで借金ができる人と。

このあたりのことを考えていくと、依存が問題になるのは、何かに依存しないと生きていけないほどのストレスを人々に与えてしまう社会の問題ともいえるし、何を問題とするか、という社会の価値観の問題もでてきます。

私は、そんな社会の差別抑圧構造を視点にいれたセラピーを行っています。つまり社会防衛のためのセラピーではなく、社会変革のためにもなるセラピーです。当事者が回復することが社会の権力構造差別構造を解体することとリンクするセラピーです。

性別分業意識、家族役割意識、恋愛妄想対幻想、家意識、経済依存、などなど様々な当たり前の価値観が、人々が自由に生きることを阻害し、ストレスの原因となり、人々に依存を必要とさせてしまいます。

それらの価値観から解放され、自己受容し自己肯定することで自分らしく自由に生きていける・・・そうすることで自分にとって不利益な依存、病的な依存は必要としなくなるということ。これは、薬物も暴力も同じ。

暴力は悪いことだからやめなさい、と言っても無駄だけれど、暴力よりもっと楽しい方法があるよ、という方がはるかに、有効性があります。とはいえ、この方法は、認知行動療法やら選択理論と基本的には同じでしょう。私のセラピーがそれらと違うのは、セラピストやクライアントの個々の認知の背景にある、病理社会に対する理解です。

先ほど書いた様々な常識的価値観だけではなく、自身の生育過程で内面化した自己概念すら、解体、再構築することをセラピーの手段としています。自分とは何か・・家族とは何か・・社会とは・・・それらに対する問いかけが不可欠とするのが、メンズカウンセリングです。

と書くと、このセラピーはとても難しいことのように感じられるかもしれませんが・・じつは、簡単、楽しいおしゃべりが基本です。DVやモラハラの加害者や被害者が集まって笑いながらおバカな話をしてるのですから。

ワークで使ったワークシートはふたコマ漫画

初の0歳児参加

  女性のクローズドワークショップ

ワークの後は個別のカウンセリングを何件か。カウンセリングが終われば十時近く。休む間も無く会場から東京駅まで徒歩。

夜バスは未明の京都に。事務所で一休みしたら夜があけましたとさ。