日本家族再生センター

大丈夫・・・安心の回路

昨日は、近代社会は人々の心に不安や恐怖を植え付ける事で人を支配する、みたいな事を書きましたが、人々が支配を受けずに暮らすにはどうすればいいか・・・そこも書いてみたいですね。

現代は不安に満ちている(と思わされている)けれど、その不安から解放されるには、経済力、地位や名声、権力や権威など、他者に優越するパワーを持つ事で安心できる(と思わされている)

だから、そのパワーを獲得するために、しっかり、学ぶ、働く、努力する、わけですが・・・・その成れの果てを毎日見聞きする私は、その頑張りが如何に無駄か日々実感しています。

むしろ、そのロジックにはめられて、さらにうまくコントロールされ収奪されているだけのような気がします。労働と消費という仕組みの中で、自身の人生も家族の豊かさも奪われてしまう。

現象的には、DVだの虐待だの、鬱だの引きこもりだの、自己破産だの事故だの事件だの・・・様々な症状として現れるけれど、問題の本質は、自分の人生を生きていない、自己決定できないまま、見えない鎖に繋がれ、奴隷のように奪われる人生を生きている、という事のように思います。

映画マトリックスで「真実を知りたいか、偽りの幸せを生きたいか、選ぶのは自由」と主人公が選択を迫られるシーンがあるけれど、現代人は選択を迫られる前の主人公と同じ世界を生きているように感じる私。

とはいえ、選択を突き付けられてもねぇ、今の安穏とした生活がなんとなく続くと思えているうちは、今の暮らしを手放す事なんて出来ないしねえ。

けれど、一旦その生活が破綻した、破綻しかかってる・・いわゆる当事者になった時には否が応でも、その選択の場に向き合わざるをえなくなります。そんな時にたまたま私に繋がった人は、私の言葉を理解する可能性もでてきます。

今まで知らなかった世界があること、今までは見えない鎖に繋がれていた事、自分の中にも様々な可能性がある事、自分で自分の人生を選べる事・・などなど。そして何より、世界は豊かで美しい事・争わなくてもいい、奪わなくてもいいということ。

そう、その世界に至るには、これまでのとらわれから解放され、あるがままの自分を理解し受け入れること、世界を知る事・・それを可能にするのが、「大丈夫」という言葉。

子供の頃から、大人たちから「大丈夫、何があっても大丈夫、あなたのままで大丈夫」と言ってもらえて育った人は、その安心の回路が心に定着して、自分の人生を生きていけるけれど、そんな子供は多くありません。

不安を煽られ、不安の回路だけを染みつかせた多くの子供は、不安に苛まれ、その不安から逃れるために、あれこれしながら大人になるけれど、結局は見えない鎖からは逃れられません。

何かあって、私のところに来てくれた人に私がいつも伝えるのは「大丈夫、何があっても大丈夫だから」

 

 

先日、バックパックをまさぐってたら、突然手の中に現れた鳥の羽。猛禽の羽と思うけれど・・・なんでなんで???の私。

それに一昨夜は、深夜二時にフクロウの声がして、うちを出てみると、うちの前の電信柱のてっぺんに、一羽の鳥がいるらしく、しばらく鳴いていました「ホホウ、ホウ」。深夜にTシャツとパンツで電信柱を見上げて突っ立ってるおじさんを想像すると笑ってしまうけれど、自宅前でフクロウが鳴くのを聞くのは初めてだったので、興味津々。

これらの不思議な出来事が暗示するのは何なのか、この事から私は何を感じたらいいのか、いまだちんぷんかんぷんだけれど・・・きっと何かあるんでしょうねえ・・・何があっても大丈夫だから・・