日本家族再生センター

子供達の力・・大人たちとともに育つ

私のところで行うグルメナイトやグループワークなどには、親に連れられて子供達も結構参加します。

グルメナイトには五年とか六年とか続けて参加している子供達もいるし、東京や京都のグループワークにも二年ほど続けて参加している子供たちがいます。

その子供達、コントロールされることなく多くの大人たちに見守られ、自由闊達に振る舞います。それは年齢に応じ個性のままに。

 

 

親のDVや離婚という世間で言えば可哀想な体験をしていて心に大きな傷を負ってるはずの子供たちだけれど、そんな表情は微塵も感じさせないし、天真爛漫そのもの。

ワークの場に集う大人たちは、世間では語れないような自分たちの体験を語り合うし、グルナイではさらに飲みながらの言いたい放題の本音の対話を重ねています。そんな大人たちの語りを聞きながら子供達も子供達なりに場を共有するわけですが・・・

家族に何があったのか、親の回復や成長とともに、子供自身も人間関係や自己概念を理解し成長するようです。大きな出来事もなく、問題のないいい子を演ずるために自我を抑圧して不安を抱えたまま育つ子供達より、よほど人間的な成長を遂げているのではないかと感じる私。

確かに家族の暴力や離婚などは辛い体験に違いないけれど、そんな親と子がともに成長し回復する場があれば、そのプロセスからは子供自身の成長の可能性や多様性も獲得できて人生にとって大きな財産になりえます。タフでしたたか、かつ優しい大人に成長していくのではないかと感じている私です。

学歴や地位で支えられ、転落や失敗の不安におびえる人生よりも、何があっても大丈夫、自分には成長する力もあるし、自分を助けてくれる人もいる、そんな自己信頼に満ちた人生のほうが、きっと素敵なものになるに違いない。そんな力を子供が獲得できたなら、家族の困難にも意味が出てくるというもの。

 

 

DVをめぐって加害被害という無意味なラベリングで不安を煽って分離して、生活苦の中、不安や恐怖から逃れる場も時間もなく育てられたら、親の不安は子供に連鎖するし、依存と支配の関係が再生産されてしまいます。これではDVは終わらない。

DV問題を解決するには、親も子もあるがままを受け入れられ、多様な人生から学び合い、育ち合う場が必要です。なのに、そのことを理解できないのが今の社会。どうすればいいんでしょうねえ・・先は長いわ・・嗚呼・・(笑)