日本家族再生センター

最後の一ヶ月・・・朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり

先日のグループワークで「最後の一ヶ月」というワークもやったけれど、その前のミニ講座では、緊迫する世界情勢に比して日本のメデイアも人々の生活も、ナフサショックで少し動揺したものの、今はなんとなくすぎていて、なんとかなるんでねーの、との印象を持っているように見えるのは私だけかなぁ。なんてことをお喋りしました。

一千年とかこの数百年の歴史を見ながら現在の世界情勢を解析していくと、まあ世界はやばいところにきてる、というのが私の実感だけれど、「やばい」だけで煽ってても仕方ないので、何がおこるかどうすればいいか・・などをここ数年それとなく冷静にお伝えしてきたつもり。

で、何があってもパニックになることなく、それまでにきちんとリテラシーしつつリスクマネジメントしてたら、出口は必ずあるから大丈夫っていうメッセージもね。

その一環としてのワーク「最後の一ヶ月」なんだけれど、人はいずれ死ぬから、死を前提に今の「生」をしっかり考えておこうよ・・という主意です。論語の「朝に

道を聞かば夕べに死すとも可なり」という意味にほぼ同じ。その言葉の意味はAIによると

「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」とは、中国の古典『論語』に残された有名な言葉です。「人として生きるべき真理や道理を、朝に悟ることができたなら、その日の夕方に死んでしまっても悔いはない」という意味を持ちます。

まあ、かなり極端な文章だけれど、自分の命の意味をわからずして生きてても、さほどいい人生にはならない・・というところでしよう。で、これから起こりうる世界的な困難(可能性としてある)に際して、自分の命の意味を理解している人と、そうでない人とは、情動も思考も判断も違ったものになるだろうし、運命の分岐点になるのではないかと・・・というわけで、その時に選択を謝らないように、今からしっかり考えていてね・・まだ間に合うかもしれないから・・というのが私の本意。

私はもう四十年ほど昔に、自分の命の意味を問わざるを得ない体験をしたので、それ以来、納得して日々を過ごしてるので、さしたる不満も不安も極端な怒りもなくて、満たされた日々を過ごしてます。とはいえ、多くの人はそんな体験をすることはないので、自分の存在の意味を考えるなんて、しんどいことをするより、目先の快楽やら人の評価、他者への転嫁などで自分の葛藤を回避します。

そして、多くの人がそういう思考回路になるよう・・情報や経済を支配する人たちは、あの手この手で人々を絡めとっていきます。スマホだのAIだのもその道具ね。要するに家畜化、あるいは奴隷化です。自分で考えない人にしていくためにね・・・そう、最後に刈り取るためにね。

でもねえ、彼らの目論見通りには行ってほしくないし、家畜になる前に刈り取られる前に多くの人が覚醒し、その後の世界を自分たちのための世界に作り上げて欲しいものです。戦争や、差別、貧困のない世界って・・自分たちで作るしかないしね。