日本家族再生センター

思い出した・・・私がフリーズするやつ

先日ある方と話してて、わかったこと・・・私が感情的に攻撃されたり、批判されたら、私は相手が何言ってるのか、さっぱりわかんなくなるし、もちろん記憶にも残らないことが稀にあると言うこと。ただ相手がわーわーぎゃーぎゃー騒いでた、というワンシーンしか記憶に残りません。

そんなことは滅多にないことだし、クライアントとの関わりではそういうことにはなりません。思い起こしてみると、かなり信頼を置いてるとか近しい人から、そのような事を言われたときにだけそうなるようです。

で、その時の感覚はねー、遡ってみると、私が子供の頃・・小学生の頃だけれど、教師に、私がやってもできない事をお前がやらんからできないんだ、と一方的に責められるとか、私の記憶にない事を責められるとか、そう言ったときに、私の心が自動的にブロックして頭が働かなくなる、いわゆる真っ白になるという状況で、とりあえず、相手の怒りが収まるのを待つだけになってましたねぇ。そうそう、あの時の感覚。

そんなとき、私はさほど辛いとか、苦しいとかにはなってないけれど、相手が何を言ってたのかわかってないから、行動変容することもないし、自分を責めることもない。相手からすれば、何を言ってもまともに答えないし、しゃーしゃーとしてるし、こいつはアホか・・ということにして鞘を収めるしかなくなります。とはいえ、私は不快な記憶としてのワンシーンが残ってるということ。まあ、今で言うLD児の私が、自分の心が壊れないよう、無意識裏に一時的に乖離してたんでしょうねえ。

と言うことから、私が理解するのは、感情的、一方的に批判攻撃するのは、相手の行動変容にはつながらず、防衛を強化するだけで、関係改善になるどころか、関係悪化にしかならないと言うことね。これは、夫婦であれ親子であれ、どんな人間関係にも言えることで、関係を壊したくなければ、感情的に攻撃したり批判したりしないこと。冷静に問題の所在やら、状況を客観的に伝えることでしょうか。

で、その方とそのことを話してたときに思い起こすに、あったあった、センターがらみで、何人かがそう言うことで、私を責め立てて関係が破綻したわと。だから、私はなんでその方達との関係が壊れたのかちっともわからないし、対応の仕方もわからなかつたと言うことね。

まあ、その事を気づかせてくれた、その方には深く感謝すると共に、その方の忍耐で、私のブロックを緩徐してくれたのには申し訳なく思うと、謝罪もしておきましたが・・。考えてみれば、当たり前のことだけれど、なかなか自分のことはわからないものですよねぇ。