日本家族再生センター

語り合うことで見えてくる、自分・・世界・・

昨夜はグルメナイト

 

19時オープン。さすがに神経痛で動きづらくて、いつもより少ない40品メニューでスタンバイ。20時頃から少しずつ賑やかになり、22時頃には17名で満員御礼。子供、と言っても高校生くらいの子供たちも4人ほど。彼らもグルナイには何年も関わっていて、世間とは違う大人たちとの関わりで、したたかに育っています。昨夜も定年近いおじさんたちと愛とか恋とかについて語り合っていました。

語りはエンドレス、朝まで組もいたのかな。

それにしても、性別年齢のことなる人たちがコントロールする、されることなく、自由に対話することのできる空間って、なかなかありません。したがって礼儀とか、常識、時間、加害・被害意識、などに縛られることなく、多様な人たちが自由に本音で語り合えることの意味について、理解できる人は専門家も含めてほとんどいないでしょう。

そんな場で、当事者やその子供達が、どのように癒され育っていくか、その事実を見守らせていただいてる私にとっても、とてもありがたく興味深い場になっています。彼ら自身が語り合うことで、自分とは違う他者の体験や学びを自らのものとして蓄え、自分の世界を広げていくだけではなく、自分という存在についても理解を深め、人生の可能性を広げていく様子が見てとれます。

語り・・・それが、ワンウェイの演説や命令ではなく、独り言のモノローグでもなく、価値観に縛られたディベートでもなく、セラピストとクライアントの対(つい)の物語でもなく、むしろカオスに近い複数の話者の自由な語り合いの中から、ふつと湧き上がる妄想のような物語が多数の聞き手に刺激を与える・・そんな、語りは近代化された対話しか知らない私たちにとって、とても新鮮で、自然で、興味深い世界を・・そして私たち自身を知らしめてくれるのかもしれません。これからのグルナイがどのようなものになっていくのか、私自身もよくわからないけれど、たちまち、坐骨神経痛でかなり痛みを抱えながらもなんとか無事開催できたという自負をもって、これからもなんとかやりくりしていくのだろうと思っています。わからんけれど(笑)