日本家族再生センター

男は黙って・・・・こじれるんよねえ

男は寡黙であるべき・・・おしゃべりは男らしくない・・・沈黙は金・・・などなど、男が黙して語らぬことをよしとする価値観があります。実際、語りが得意という男はさほど多くはありません。たまに、話すのが好きという男でも、対話というより、実は演説が好きなだけで、会話上手ではないことがほとんど。

これを女に比べて男は大脳の言語野が小さいからだという学者もいますが、言語野が小さいから語り下手なのか、語りが下手だから言語野が発達しないのか・・・何とも言えません。男は語らないという文化の中で成長するから、言語野が発達しないのだ、とも言えなくもないですからねえ。

対話が下手というのが、単にコミュニケーションが不得手ということにとどまらず、認識や思考においても、不利益をもたらすのではないか、と推測する私です。というのは、社会構成主義においては人は言語によって世界を構築すると考えますから、言葉を知れば知るほど、世界をより深く複雑に理解することが可能であり、自己概念も人生の選択肢もより多様で柔軟なものにすることが可能です。

言葉を知らない、対話が下手というのは、その人の行動や思考の幅を狭め、豊かに生きていくのが難しくなります。なのに、なぜ「男は黙って」なのでしょう。私の勝手な妄想だけれど、男が自由に生きて幸せになることより、忍耐努力して国や会社のためにせっせと働くことを重要視したのが近代国家の政策というものでしょうか。要するに国策としての「男らしさ」のための「男は黙って」なのでしょう。

けれど、その結果、多様な人間関係とか柔軟な行動様式が失われ、役割意識に縛られた価値観、家族意識になり、様々な家族の問題を解決することもできなくなってしまいます。些細なことからDVやモラハラになったり、虐待や依存などの問題も起こってしまいます。

とうわけで、男たちに対して、対話すること、自分を語ること、感情を語ることそしてなにより、対話を楽しむことが大切と伝えます。そしてそのためのアクティビィティーを用いるのが私のワークです。もちろん、女たちも自由に自分を語れる女ばかりではないのですが・・・。

で、昨夜も自由な語りの楽しさにはまってしまった男たちはワークの後も11時過ぎまでおしゃべりを続けていました。その賑やかなこと・・・。楽しそうなこと・・・子供に会えないとか、別居中とか、調停中とかの男たちばかりなんだけれどね。

昨日焼いたアップルパイ