日本家族再生センター

栄枯盛衰・・・儚いものょ

権力とか、富とか・・人は所有や支配の概念があるから、奪ったり争ったりの歴史を繰り返すのかもしれません。ここ数千年の人類の歴史です。

それらの概念が薄くて、人類が神の声にしたがってた時代には、富の蓄積も大きな戦争もなかったのかもしれません。要するに、農耕の始まる前、狩猟採取の時代を生きてた何万年という人類の歴史です。

どちらがいいとは言えない私ですが、権力やら財産やらに縛られたくない私はまともな仕事(賃金労働)にもつかず、蓄財もせず、出世も望まず・・要するに努力、忍耐することなく、好きなことをしてその日暮らしを楽しんでる・・そんな感じです。

そんな私、今日は中世ヨーロツパの崩壊した遺跡を見てきました。もちろんお友達とその娘さんと一緒にね。

12世紀頃に築城され順次増改築されたバーナードキャッスル

以下はヘンリー八世によって破壊されたエッグルストーン修道院跡

富も権力もいずれ、奪われ崩れ去るもの。永遠に続く国家も権力もなく、人の命もたかだか百年にもなりません。儚いものです。

その儚きものにすがるのではなく、永遠の命を求めよと諭したのがキリスト教なのかもしれません。けれど永遠の命って何でしょね。宗教的には神と一体化することなのかもしれないけれど・・

進化論的には連綿と連なるDNA=遺伝情報、だったりシナプスに蓄えられ学習によって次世代に伝承される文化=生存戦略だったりするのかもしれません。

個々人の自我を超えたものがそこにはあって、そのことに気づくのか気づかないのかによって、その人の人生は大きく左右されるでしょう。

どんな地位も権力も財産もあの世に持ち越すことはできません。子供に相続したとて子供がそれで幸せになれるかどうかはわかりません。だからキリストは言ったんだろうと思うけれど「宝は天に積め」と。

というわけで、蓄財も出世も、はなから手放してる私・・天に宝を積んでるつもりはないけれど、すきなことして楽しんで、おまけにいろんな人が幸せになってくれるなら、なおありがたい。こんな私だから、財産を失う不安、それを来世に持ち越せない悔しさ、権威、権力を失うことの惨めさ・・これらの不幸とは無縁です。私の命も思し召のままに、思いわずらうこともなく、来世に胸躍らせるだけ。はぁーなんとお気楽な。

晩御飯は炒飯、酢豚、生姜焼き、卵スープでした。夜半にお腹が空いたので、面白がって、カップヌードルすき焼き、を食べました。生産はハンガリーだったかな。日本では食べられないものねぇ。でもラベルには「No1 in japan」て書いてるし(笑)