昨夜の男ワーク、紅一点を含めて、14人の集まりになりました。狭い部屋は自称DV男たちの熱い思いで、少々むさ苦しいほどに(笑)だもので初めてクーラーをオン。
お題は「こんな時なんて言う? 」なるワーク。あるサラリーマンがストレスを溜め込んでネガティブな感情を溜め込んでいく状況を物語風に設定してて、その状況であなたならどういう発言、態度になりますか・・というちょいと込み入ったワークです。
状況に対して自分の感情がどう反応し、どういう言動になるか、それをシュミレーションして、他人とシェアし自分を客観視するというもの。
初参加のかたも数名いたり、困難の渦中にある方も少なくないけれど、みなさん自身の加害者性やら怒りについて自己洞察・自己受容できていて、俺たちDV仲間、とかおいらのDV魂とかいう言葉が飛び交いますが、あるがままの自分を受け入れるという大切な作業です。
その風景はDV男たちが反省の態度もなく、楽しげに語り合い、大笑いしている、けしからん風景、と映るでしょうねぇ、世間の価値観からみれば。世間の人達にすれば、DV男たちが反省し、黙って講師の説教に聞き入る態度こそ、あるべき加害者の態度、そんな態度をみせるプログラムは正しく有効・・なんて考えているんでしょうねえ。
でもねぇ、そんな教育的なプログラムは主催者自身も語ってるけれど有効性は低いんよねえ。数パーセント?しか脱暴力しないってんだから。決局は、プログラムする側やそれに期待する人たちの自己満足でしかないっていうのが私の結論。
有効性の低いプログラムをどれだけ世間に広めようと、予算とってこようと、支援のための支援でしかなくて、加害者はもちろん被害者のためにもなりません。大切なのは加害者が実際に脱暴力すること、被害者が再生産されない、被害を繰り返さないこと。これがなければ無意味です。
で、世間の価値観では理解できない私の行うワークの風景だけれど、これは、加害者が現実の自分に蓋していいカッコするのではなく、あるがままの自分を理解し、それに蓋することなく、そんな自分をどう脱暴力させていくか、その努力を継続させること・・。
そのためには、自分が受け入れられること、大切にされること、感情を抑圧せず言語化すること・・その身体的な実体験が不可欠。いくら知識で脱暴力を学んでも、自己受容もできず自己否定して他人の価値基準に無理やり自分をはめ込もうとしても、机上の空論、頭での理解でしかなくて、実祭の対人関係においてはほとんど役に立ちません。これが加害者プログラムは有効性が低いと結論づけられる原因です。
というわけで、世間には理解されづらいDV男たちのサンクチュアリー風景・・昨夜も笑い声が絶えませんでした・・渦中の当事者たちがたくさんいたのにね・・不思議。
今年も美しく咲いてくれましたウチワサボテンの花。