日本家族再生センター

怒ろう・・・・加害者も被害者も・・??

昨夜の男ワーク、女性の参加も含めて9人ほどの集まりに。寒いやら、慌ただしいやらで、なかなか出足もよくないけれど、近況報告や初参加の方へのウェルカムメッセージの後のワークはパット・パルマーの「怒ろう」の読み合わせ

DV・モラハラの加害者の多くは、いわゆる真面目な人が多く、世間体は立派な方が多いのも確かです。教育者・医者・宗教者・公務員・警察などなど・・・。

一般刑法犯が社会階層にある程度相関を見せるのに、DV・モラハラ・性犯罪は社会階層にあまり関係ありません。だから、余計にそれらの方たちの行為が異常に感じられやすくなります。

実はその方たちが異常なのではなくて、彼らは日常的にいい顔することで、感情の抑圧を受けており、そこからくる葛藤は無意識に、家族や恋人、など自分の安全の確保される弱者に向かうのは、心理的には当然のこと。

被害者が耐えかねて、問題が表面化した時にやっと、自分の問題として受け入れざるをえなくなります。ネットを検索したり、本を読んだり・・で、プログラム受講となるわけですが・・・

彼らは一般に賢い人たちが多いけれど、自己肯定感は低いので、他者の評価を気にするし、教育プログラムや更生プログラムをしっかり学び、反省もします。本人も自分が治ったつもりになりがち・・。けれど無意識では、教育や更生などのプログラムの中で、さらに自分の欠点を指摘されるので、自己肯定感は低下しています。

自己肯定感が低くなるからさらに、ネガティブで防衛的な言動になりやすくなります。「自分はこれだけ反省もし、学び、理解もしている、なのになぜ君は自分の問題と向き合わずに、僕ばかりを責め続けるんだ、何も変わらないのは君の方だ、いい加減にしてくれ」とまあ、巧妙な加害者になってしまうのは、多くの研究者が更生プログラムの有効性の低さを指摘するところ。

というわけで、私はセラピーに権力構造を持ち込まず、私自身も一当事者として、参加者も世間の肩書きは表に出さず場に参加します。一人一人が全員平場です。

世間の価値観で自分の感情を抑圧することのない自由な語りの場は、世間では語りえなかった抑圧された感情を吐き出すことができます。怒りや悲しみ、不安や孤独、安心や甘えたい心、などなど・・。

そこで、私が用いるのが「怒ろう」という言葉。抑圧された感情が溜まりに溜まって爆発し暴力になる前に、怒りを理解し受け入れ、その感情の意味するところに向き合うことで、怒りの感情が暴力に発展せず、人生を豊かにするエネルギーとなるような、そんな価値観や情動の変化をもたらします。

その気づきのプロセスで大切なのは、ダメな自分ではなく、成長可能な力ある自分に気づくこと。他者の評価やコントロールに従属するのではなく、自尊感情の高まりによる自己決定で自分を支えることに対する満足や喜びです。その感情は他者を支配することも不要にするし、支配されることも拒否する力になります。真に自由で対等な人間関係を作ることが可能になります。

加害者を否定し教育を押し付けても、それは被害者の報復感情を満たせても、加害者が真に非暴力になることにはつながりません。加害被害の関係が逆転するだけ。フェミニズムが女と男の関係を真に平等にすることにつながらないことと似ていますね。

そんなこんなで、昨夜も賑やかに楽しそうな笑い声に満ちたワークとなりました。さてさて、今夜は大阪で女と男のワークです。どんな場になるかな・・わくわく。