日本家族再生センター

親の回復と子供達の育ちと・・・

一昨日と昨日は狸谷農牧舎にてキャンプでした。キャンプと言っても古民家付きなので、テントで休みたい人はテントで、民家で眠りたい人は民家で・・

とはいえ、夜も遅くまでしゃべるし、昼も夜も、遊んでる人、援農作業に励む人、おしゃべりしてる人、寝てる人・・まとまった行動とは程遠い、いい加減な集団。

みんなが勝手気ままに過ごしてますし、それを誰かがコントロールして、統一のとれた集団にしようなんてことはありません。一人一人が自由だし、平等だし・・

ただ、子供達は自由だけれど、その能力に応じて、安全確保のためにある程度のコントロールをうけることもあるけれど、それは必ずしも親の役目ではないしその個々の子どもと、それを見守る大人の個々の関係の中での出来事。大人がみんな心くばりし安全を見守ってくれるおじちゃんおばちゃんといったところ。母親一人にその責任を押し付けないし、親が責任を全うしてなくも、それで批判されることもありません。

子供達も、大人が管理してなければ、子供同士でそれなりの社会性が構築されるようで、年長の子供は年少の子供の世話役やら遊び相手になってくれます。こんなことが可能なのも、近隣に住宅がない、車や工場設備など危険なものがない田舎だからでしょう。

思えば私が子供の頃の子供たちの風景はそんなものでした。年齢のことなる子供同士十人ほどの集団で遊んでいました。大人たちはそれに介入することはほとんどありません。

子供達が始めたキャンプファイヤーに大人もつられて・・・

こんな地域社会の中で、大人たちも子供達も、対人スキルやらコミュニケーションスキル、なにより確固たる自己概念やら自己信頼感を育てることが可能なのでしょう。地域に家族機能があったということかもしれません。

ひるがえって、現代社会は、人の育つ環境から、自由な時間、空間、人間関係を奪い、経済合理主義最優先で社会が構築されています。こんな中で人は孤立し、不安を抱え自由に考えることも豊かな人間関係も作ることができず、病理化しています。

それがDVやモラハラや様々な依存など様々な家族問題としての症状を現すのでしょう。

豊かな暮らし、平和な家族・・・ってなんでしょね。問題は家族にあるというより、問病理社会にあるのにね。

 

テントで三時間ほど寝た後は、すぐに起きて朝食の準備に・・メニューは卵丼とポテトサラダ、冷奴にお味噌汁。

手刈りしたりコンバインで刈ったり・・・稲刈りも大変。

みんな頑張りましたよー