日本家族再生センター

鼻くそついてるど・・見えない自分

しらない人にいきなり、鼻くそついてますよ、とかファスナー開いてますよ、とはなかなか言ったげたいけれど、いえません。

で、ほんとはその人が自分で気づいてくれたら一番いいけれど、なかなか自分の顔も姿も見えません。見えないばかりに誤解されたり、信頼を失ったり。

鼻くそ、ファスナーなら、人生に対して影響ないから、気づこうが気づくまいが、たいしたことにはならないけれど、態度振る舞い、言葉使いは人間関係を大きく変えてしまうことになりかねません。

本人は自分の言動について見えてないのだから、相手の言動の意味もわかりません。相手は本人の言動に反応しているだけなのだから。

人は理解できないことに対して、不安や恐怖を感じるし、自動的に防衛反応も起動してしまいます。男性の場合防衛として闘争モードに入りがち。女性は無反応か逃走モードを選ぶこともしばしば。

このあたりが、DVの構造になりやすいけれど、一旦DV認定されちゃうと、本人同士の意思や気持ちはすっ飛んで、乗せられたルートを走るしかなくなります。本人にすれば、何でこんなことになるのか・・理不尽な状況に怒りを覚えたり絶望したり・・・。

そんなことになる前に、あなたの言動はこんな風に見えますよ、こんな風に理解されますよ、とお伝えするのも私の仕事。

けれど、鼻くそついてると言われたくないように、他人から見た自分の言動が自分の理解とは随分違うと、受け入れるのも難しく、他人の言葉を否定したり、貶めて、自分が優位にあると思い込んで安心しようとするのも、またこれ人情。自我の弱い者の防衛でしょう。

というわけで、鼻くそを伝えるのも注意深く慎重に、と心がけている私です。

自分の容姿だけではなく、自分の言動が他人からどう見えているか、常に自分をモニターする習慣は、多くの人にはありません。先生の言うことだけ見て、先生の言う通り動きなさいと言われて育っているからね。

自分がどんな考えでどんな表現をするか、それが相手にどんな影響を与えるか、そんなことを常に自分の頭で考えるようなトレー二ングを受ける人は稀。

実は私のワークは、そういったことを行うトレーニングの場と言っても嘘ではないでしょう。私が先生になって「正しい言動」を教えるわけではありません。

自分の言動や自分の感情に気づき、それを言葉や態度で相手に伝えたり、相手の言葉や態度から相手の感情や考えを理解したり、そのことで相互理解や共感が生まれます。この心理的なメカニズムが機能していれば、対人関係は随分楽になるし、家族がもめることも無くなります。

けれどねぇ、その辺りのこと・・専門家は正しい方法を教えようとしちゃうのね。しっかり学びなさい、正しい言葉、正しい態度を・・とね。でも自分のことがわかんないうちは、心地よい対話にも共感的理解にもならないよね。

私は、鼻くそついててもどうってことないし、鼻くそついてるって言われたら、ありがとうっていうだけのこと。やってもないのにセクハラカウンセラーにされちまった私ですから、もう怖いものはありません。