日本家族再生センター

結婚 ? 大丈夫・・・それって家族幻想だしぃー

私は結婚してるけれど、特に離婚の動機もないので(たぶん連れ合いも)離婚してませんが、結婚という制度で相手を縛るつもりもないし、縛られたくもない。

もう四十年以上も前の話。奥入瀬の紅葉や暮れなずむ十和田湖の美しさに酔ってた私は(たぶん連れ合いも)うっかり結婚しようかと言ってしまったし、連れ合いもうんと答えてしまった。

幸い、当時は携帯もスマホも無くて、遠距離だったので、会うに会えず、電話もほとんどできない通信事情で、妄想だけが膨らんでました。

それから二年後に一緒に暮らすことになったけれど、当時私はフリーアルバイターだったし、その先もまともに仕事を続ける自信もない。だって、不安発作やらアルコール依存やら抱えてたし、サラリーマンを続けるだけの社会性もないし。

でも彼女と一緒に暮らしたいとの思いはあったので、初日に宣言したのは、あなたを養うことはしない、家族責任としては、私は食事の係を引き受ける、といことで契約成立。経費は折半、それぞれの所得はそれぞれが管理するというもの。この原則は今も変わらず。

現在連れ合いは障害者年金で生活してるし、私は僅かな雑収入で暮らしてるというところ。ローンも車もないし旅行もしないし、酒タバコもしないし、衣類は頂きものか古着で済ませてるから生活費も困らない。

結婚するときに、俺について来てくれ、とか、幸せにする、とか、一生君だけを愛するとか、陳腐な言葉を使う気も無かったし、使える私の状況でもなかったし、今から思えば、ほんと適切な判断をしたものだ。

それから四十数年の間にほんといろんなことがあったけれど、いろんなことを乗り越えて、世間には理解が難しいかもしれないけれど、今はそれなりに納得し二人にとって心地よい関係ができているのだろうと思う。

こんなことができたのは、初めから家族幻想を持たなかったし、常識的な家族役割や恋愛妄想に囚われずに済んだからだろうと思う。

けれど、世間の多くの人たちは心の中まで管理され、暮らし方や人間関係まで、自分で考えられない人間になってしまってるから、仕事やお金で縛られ、自由や幸せもファンタジーを与えられ、絞られむしられる。

そのファンタジーが結婚妄想、家族幻想・・・何かあればすぐに崩れる薄っぺらい妄想なのに、そのことに気づかせてくれる人もいない。

自分も家族も一人一人が大切にされ自由と幸せを享受するにはどうすればいいのか・・妄想が破綻した人たちが私のところにやってきて、ほんとの人生を再構築していく。私はそのお手伝い。家族幻想や権力社会に絡め取られずアウトサイダーとして生きてきた私だから、それができるのだろうと、今はつくづく実感。

そんな私、今日は33度の疎水公園をランニング。ゆっくり休みながら12キロ。今月はトータルで久々に50キロを走りました。昔は200キロほど走ってたのにね。

暑くてもランニングするのは、ある程度の負荷をかけて、身体機能を維持するため。身体を自分で管理することで、医療不要の身体にしています。だって医療費は余程のことがない限り出したくないっていうか、出せないもんなあ。それに体が扱いやすく美しいっていうのは、金では買えない贅沢だもんなあ。ライザップでも高いしね。

 

 

ハコネウツギは花盛り

途中で水分と糖分と補給