日本家族再生センター

死にたい、殺したい・・そんな気持ちもアリだしー

正論は傷つける

前向きで、健全で、優しくて、美しくて、強くて・・・そんな気持ちを表す言葉は、聞く方も心地いいし、話す方も自信を持って語れます。そんな言葉は世界に溢れています。

そういえばずっと昔、近隣の小学校の校庭に大きく標語が書かれたパネルが立てられてました。「育てよう、強い子良い子元気な子」なんての。性格の悪い私はそれを見て、「ケッ・アホかっ」と毒づいてしまいました。(笑)

どんな子供もあるがままでいい

弱い子悪い子病気な子はそれを見て元気になれるか?いい子になれるか?強くなれるか?・・・私自身の子供時代は、体も小さくて、頭も悪いし、何をやっても人から劣ってたから、そんな標語をみると、ケッと思うのは、私のような子供が排除されてしまう痛みを感じるからでしょうねえ。

家庭や学校、職場や地域、様々なところで大切にされるべき人たちから傷つけられた体験を持つ人は、心に大きな傷を負ってるし、その痛みがいつまでもことあるごとに疼きます。

大人も子供も同じ

そんな人はなかなか、前向きな気持ちにもなれないし、心も強くなれない、元気に生きること、明るく振舞うことも難しい。

いろんなエピソードが積み重なって、行き着くところは、死にたい、あるいは殺したい、ってことになりえます。そこまでいかなくても、消えたい、なくなりたい、死んでほしい、消えてほしい・・そんな気持ちに蓋して、明るく振舞っていても、もうほとほと、そんな自分に疲れた・・自分がわからない・・ということになるのも、ごく必然。

女と男のワークで一年を振り返ると

昨夜の大阪での女と男のワークは、今年最後のワークでもあり、お題は「この一年で得たもの、失ったもの」にしました。

初参加の渦中の方のしんどさもしっかり語られたし、理不尽な状況に対する怒りも語られました。日常は蓋せざるをえない自らの心の中の殺意やら自殺念慮が言葉になり、その場を共有する参加者にしっかりと受け止められ、対話の材料となって深められます。

エロい話も織り交ぜながらのおバカな語りの中になぜ死にたいのか、殺したいのか、自分の存在の意味は何なのか・・などなど人の存在する根源的な意味をそれぞれが自らに問いかけました。

感情を理解し受け入れ、言葉にすると

私の行うワークの場には正義で断罪したり、正論で傷つけたり、優劣で序列化するそんな世間の価値観は持ち込まれません。あるがままの自分を見つけ、受け入れ、そんな自分を他者や世界とどう調和させるか・・・その作業を行う場と言えるかもしれません。ある参加者は、修行やねえ、と語られました。

説教する人もジャッジする人も、コントロールする人もいないし、ただ、おバカでエロくきわどい話をしているだけのようだけれど、その混沌の中から、生きる希望や存在の意味も湧いてくるのかもしれません。まさに量子的な空間かも。