日本家族再生センター

性を知らなくていいの? ・・・・若者たちよ

今日は朝一の講義と二限の講義と「ジェンダーと福祉」としておしゃべりしました。一応、データをつけたレジメ資料を用意して配布しましたが、一方的に一般論をだけを話すことにはしたくありません。確認として、ジェンダーとか性について学んだことがあるか、と問うても、ほとんどの学生は学んでいないとのこと。

一応、性差別について、一般論としての女性差別の問題も語るけれど、性差別は複雑で、男性差別もあるし、性的マイノリティーに対する差別もあるということから講義を始めました。

 

 

 

学生は保育や福祉については学んでるし、発達とか児童心理とかについては学ぶ機会があっても、性について学ぶことはないようです。ましてや、性や家族をめぐる法律や制度、国際状況などについてほとんど学んでいません。これで対人支援ができるの?と疑問になるのですが、文科省や厚労省の基準ではそういうことなんでしょうねえ。

 

授業前 顔なしでピースの女学生

 

将来彼らが仕事で外国人や障害者、その子供たちと関わることも多いだろうし、人と人が関われば、性の問題が絡んでこないはずはありません。それがセクシャリティーという意味だけではなく、ジェンダーという意味では、どんな人もその性が絡む問題と無関係ではありえません。仕事だけではなく、個人的な付き合いであれ、結婚とかいうステージにおいても、ジェンダーやセクシャリティーの問題は避けて通れません。

その時に知識があるのとないのと大きく人生は変わるでしょう。けれど、今の若い人たちは性をめぐる知識をほとんど持ち合わせていないようです。それは家族意識や家族をめぐる人間関係についても同じこと。結婚制度や親権制度についてもほとんど何も知識を持っていません。これじゃあ、DVや引き離し、などなど家族の問題は起こるよねえ・・というのが実際です。

ですから、多くの当事者が当事者になって初めて、法律や制度のおかしさ司法のおかしさについて理解するけれど、それまでは何も知らないし考えてもいないということに他なりません。知らないからどんなことも他人事で済ませてしまいます。なんでこんな法律なんだ許せない、と怒る当事者の気持ちはわかるけれど、知らなかった学ばなかった本人の責任についてはなかなか思い至りません。

法律や制度のおかしさを知っていれば、それに頼らないとか騙されないという判断もできるけれど、何も知らないとそれすらできません。ある日気付いたらとんでもないことになってることに気づくということ。

もちろん、今の人権感覚のない法律や制度を、一人一人が大切にされる法律や制度に変えていくためには国民がしっかり学び考え、投票行動に反映させなければならないけれど、多くの国民は行政権力やマスコミの流す情報を鵜呑みにしてしまうお気楽さがあるから、まともな法律を作ることも難しい。

法律を変えることは叶わなくても、せめて少なくとも自分の人生は自分で守る、自分の家族は自分で守るだけの知識やスキルがあれば、不幸な傷つきや家族崩壊になることを防ぐことも可能かもしれません。

そんな思いで、今日は若い人たちにしっかり話してきたけれど、男子学生の一部は、私の話も他人事でなかなか自分のこととして聞く耳も持たないような方もいました。彼らが将来、家族や性をめぐる大きな困難や苦しみに遭った時に、私の語りの一部でも思い出してくれたらと思わずにいられません。

そうそう、昨夜は12月1日シネマデーで、鑑賞料がみんな千円なのもあって、連れ合いのバースデー祝いも兼ねて、ナイトシネマしました。時間の都合もあって選んだのが「五日物語ー三つの王国と三人の女ー」です。イタリア、フランスの合作映画で大人の童話です。イタリアの民話をもとに作られたファンタジーで、結婚すること、母になること、若さを取り戻すこと、の女の欲望と、その欲望が叶えられたその後の運命に翻弄される女の不幸とが寓話として語られます。

欲望が叶うことは必ずしも幸せになれることではないという逆説です。日本の昔話でも、浦島太郎や鶴の恩返し、かぐや姫など、その手の物語はあるようです。私はさらに逆説的に、欲望が叶わなくても幸せになれる、と読み解きます。糞溜めのような人生の中に実は宝が隠されている、と常日頃表現しているわけです。人間万事塞翁が馬って所にも通じる話ですね。