来月10月8日京都は「ひとまち交流館京都」で第十七回日本男性会議を開催します。基調講演・パネルトークは太田区議の 伊藤 翼さん。テーマは「LGBT法って何なん?」で、当事者の視点でLGBT法について語り合います。
この集まりは「メンズカウンセリング協会」主催だけれど、メンズカウンセリングという言葉も概念もちっとも普及啓発が進みません。男性会議も16年続けてきたけれどね。逆にウイメンズカウンセリングは女性差別撤廃条約やら男女共同参画基本法の流れに乗って、政治的に普及が進みました。
その結果、男性支配の社会が悪い、男が悪い・・という偏った価値観が蔓延し、男女の関係が歪められてきたように感じるのは私だけではないでしょう。もちろん、家父長制が良かったというわけではありません。私も一時はフェミニスト周辺で活動してきた人間です、男が女を抑圧する構造は現にあったし、そこは修正されるべきでしょう。かと言って、全ての人間関係において男が抑圧者、加害者、悪者と捉えるのも異常だし、真実ではありません。
そんな中、今で言うLD(学習障害)の私は、子供の頃から授業についていけず、教師のあんたがやらないからだ、との言説で、適切なサポートもなく授業中は「自分の世界」に入り、授業はちんぷんかんぷん。学校へは給食を食べるため、友達と遊ぶために毎日通っていました。
そんな私、天の配剤か言語処理能力だけは優れていたみたいで、言葉や文章の意味を理解することは簡単で、国語はセンセの話を聞かなくても理解できたし勉強しなくてもテストはできました。漢字の書き取り以外はね。だから教師の言葉の矛盾とか嘘も容易に見抜けたし、それを教師にぶつけて、いつも教師とはケンカしてました。
こんな私だから、社会に適応することも難しく、そのことから思春期あたりから実存不安と言う得体の知れない不安に苛まれ、不安発作の恐怖から逃れるために、アルコール依存になっていきました。高校生になる頃からね。
で、なんだかんだあって、社会に適応するのを諦めた私を救ってくれたのはフェミニズムです。男の私が生きづらいのは私の問題ではなく、社会の抑圧構造が問題なんだとフェミニズムは気づかせてくれました。で、私は男である自分に向き合い、自分という存在と男という現実と向き合うことになります。このあたり、フェミニズムでは解決できないので、フェミニズム周辺の男たちと男性運動を立ち上げ、「メンズリブ研究会」を組織し、男性論と当事者性について語り合っていきました。
その動きが男を支援するための「男悩みのホットライン」とか「メンズサポートルーム」の非暴力グループワークというものになっていきますが、その活動の中で私は、自らに強制される男性性を削ぎ落とし、ジェンダー領域では「男と女の間」を生きる存在になります。「味ママ」の所以です。
が、身体的には男性性をなくすことは不可能であり(DNAやらホルモンで決定づけられている)ジェンダー領域とセックス(生物学的)領域との男女のバランスの中で生きる、性のバイリンガルとして当事者とかかわつていくことになります。
そのことで、フェミニストの理解し得ない性の多様性を理解した私は男性だけではなく、フェミニストの支援でこぼれ落ちる多くの女性の支援も合わせて支援するようになったのが二十年前。日本家族再生センターの設立です。
そして今、前立腺癌に侵された私はホルモン療法を受け、身体的にも男性性が削ぎ落とされていくのを実感しています。ホットフラッシュに悩まされたり、性的欲情が消失したり、勃起しなくなったり、乳房が膨らんできたり、体毛が薄くなったりとまあ、いろんな変化があり、それらは私のアイディンティティーに関わることでもないので、その変化を面白がっています。
そう、男でも女でもない私、あるいは男でもあり女でもある私・・どちらでも構わないわけですが、こんな私からみると当事者に簡単にLGBTQとラベリングしてしまうことの危うさを感じないではいられません。ましてや当事者抜きに政治的に法制化してしまったLGBT,理解増進法は当事者だけでなく、多くの一般市民に対しても、不利益を被る悪法としか思えません。
長々と私のことを書いたけれど、今度の男性会議で・・実際にゲイをカミングアウトした政治家、参政党の 伊藤 翼 さんや男女当事者とその辺りを語り合えたらと思います。みなさんもお気軽にご参加くださいねー。