先日のワークショップでも、対話の基本として、私メッセージのことや、ラポートトークのことをお伝えしました。日本語は主語を語らない会話が多く、自他の境界が曖昧です。以心伝心とかあうんとか言われることも関係しているでしょう。察するとか、忖度という概念もしかり・・・。
みんなが共通の価値観や行動様式を持っていたらそれもいいのかもしれませんが、多様な価値観、複雑な行動様式で暮らしている現代人にとって、日本語はかなりハイリスクな言語と言えなくもありません。とはいえ、私は日本語しか話せませんが、対話上で問題を感じることはさほどありません。頭の中でそのあたりをかなり意識して使っているからでしょう。
具体的には、主語を確認しながら話す、聞く、ということ、わからなければ相手に確認をとります。「そのように発言したのはあなたですね」というように。また、主語の問題だけでなく、ラポートトークの問題も気にしつつ対話していきます。ラポートトーク・・要するに感情を話す、聴くということ。感情的に話すという意味ではありません。感情を言葉にするということです。「その言葉がとても嬉しくてね」とか「彼の判断に不安を感じましたよ」などのように・・・。「彼女はその言葉を語りました」「彼の判断は曖昧でした」と語るのとでは対話の質が大きく変わります。
けれど、このような対話を自然に語るには、自分の感情に常にフォーカスしつつ言語化する習慣が必要ですし、そのための「感情言葉・・エモーショナルワード」をたくさん知ってなくてはなりません。その数は多いに越したことはありません。
けれどねぇ、理屈で語ることばかりを学ぶだけでなく、感情を抑圧することを学んだ多くの人たちは、そんな対話を交わすことはとても難しいようです。その結果話せば話すほど、こじれていくということになってしまいます。
恋愛妄想でお互いが勝手に妄想を相手に投影しているだけの時ならいざ知らず、相手の心の奥底も含め全体を理解し、その異質性を受け入れ、相互の成長をもたらすことこそ、本当の愛情とか信頼ではないかと、私は思うのだけれど・・・。「そんなあなたを受け入れる勇気を持ちたい」という言葉に含まれる苦悩こそ愛の証なのかも・・・「そんなあなたは許せない」という言葉に愛はあるのだろうか・・・所有とか支配とかの無意識に絡めとられた恋愛妄想は・・どうも愛とは相入れないもののように感じるのは私が変態だから? まっいいけど。この辺りがあるから、私簡単に「愛してる」なんて好きな人に言えないんよねー・・あっエロっぽくない感情には簡単に「愛してるよー」なんて言っちゃうけど(笑)