日本家族再生センター

怖いのは孤立・・・不安と絶望が何より怖い

先日の新聞記事、大阪府で一年間に孤独死し死後二日以降に発見された人は三千人近くの人数だとのこと。すごいね。誰にも看取られずひっそりと死んでいく人・・・それが病死なのか自殺なのかはわからないけれど。

自殺も日本では年間二万数千人・・・これは遺書などが残されている場合だけで、遺書がなければ不審死、事故死などにカウントされて自殺にならないし、実数はこの10倍くらいあるという説も。何れにしても、毎日百人近くが自殺しているということ、すごいね。

この方達、不安と絶望の中で死んでいくんだろうけれど、その当事者に思いを馳せると、胸痛む私。年齢的には私の世代が多いと思うからね。私のようにお気楽に生きていければよかったものを・・・何がそれを難しくさせたのか・・

人は、産まれて死ぬまで、一人で存在することは不可能・・常に他者との関わりの中で生存が可能となる生き物です。社会的な存在として進化してきていますからね。心理的にも肉体的にも。もちろん数ヶ月とか数年とか、一人で山中や孤島でサバイバルし得るタフな人もいるだろうけれど、それも例外的、誰かが作った道具や知識で生き延びていることに変わりありません。

他者との関わりの中でしか生きていけない存在が、他者との関わりを失った時、それはとてつもない不安や恐怖、絶望を感じるのかもしれません。私が若かりし頃、実存不安に苛まれていた時、他者との関わりに実感を得られない、離人感の中で、私の存在を持て余し、一人で恐怖に苛まれていました。あの恐怖は体験しない人にはきっと理解は難しい・・・そんな気がします。

今の社会、個々人の受容的、共感的人間関係を作るのが難しいコントロール社会。スタンタードから外れた者は、排除され関係を断たれてしまうのもあり得る話。そんな人はたちまち不安と絶望に苛まれてしまいます。自己肯定感の育ってない人にすれば生きていくのも難しい・・若くても若くなくても・・・。

そんな人にしてみれば、新型肺炎であっけなく死ぬことができたら、なんと素敵な・・・物語・・恐怖でもなんでもない。

けれど、そんな不安を知らない人は、妄想の病を煽られて、妄想に恐怖する。マスク買ったり消毒液買ったり・・・ほんとバカばっかし。そんなもんで死にやしねーよって言いたい私。死ぬのは不安と絶望で死ぬんだから。

とかなんとか・・・今日はこれから目黒でセッション。今は東京駅のマックで朝のお仕事・・・