日本家族再生センター

誰の問題か・・・何が問題か・・・他者の視点

自分の顔は鏡がないと見れないのと同じように、自分の言動もその言動に影響される他者がいて初めて、自己確認できるというもの。ただし、相手の言動の意味がわからないと、そこに投影される自分も読み取れません。このあたりとても難しいみたい。対話が相互信頼を深めるどころか、相互不信になったり、お互い悪意はないのに傷つけあったり。

で、他者との対話を修復的に行うためにはそれなりのスキルが必要だけれど、そんなスキルを学ばせてくれるところはどこもありません。

というわけで、私はグループワークやカウンセリングで力をつけた当事者の方たちに、グルメナイトなる場を提供しています。

参加者は当事者とその家族だけれど、離婚や調停中とか別居中とか言った方たちがほとんど。昨夜は大人15人ほどほぼ男女半々。子供達は六人。

なんだかんだと、朝までおしゃべりしてたのが五人ほど。私は二時頃お先に帰宅。少し仮眠をとってまた事務所に入り、グルナイの後片付けなど・・

それにしてもみなさんよくしゃべる・・離婚だの暴力だの浮気だの・・様々な家族をめぐるテーマで語り合いが続きます。

いわゆる加害者も被害者もいて、女もいて男もいて・・・そして三歳から12歳までの子供達もいて・・。いろんな立場でいろんな体験をもとに、いろんな方が自由に語るのはまさに混沌そのもの。どれが正解でもないし、誰かが正論でジャッジする、そんな場でもありません。

語り合うけれど、結論もなければ合意も総意もありません。なのにだらだらと、一見無意味な語りは続きます。その意味はそれぞれにとって様々なものでしょう。語りで投影される自己を見出すだけなのだから。

自分が見えてきたら、自分の問題も見えてくるし、自分の人生を変え、再構築することもまた可能・・。結局自分を知るためにはいろんな他者との一見無意味な語り合いが役にたつ・・・んだけれど、その実際は説明するのが難しい。

食ってやるぅー