日本家族再生センター

性・家族・暴力・・・日本橋セッション

昨日は月一恒例、日本橋セッションの一日。

夜バスは早朝の東京に

街にはクリスマスイルミネーションが溢れてました。

朝一のミニ講座は「性と暴力」と言うテーマで暴力の実態について統計を使って学習です。

性犯罪、DV、虐待について、その現実について検証しました。私たちは報道だけでそれらをイメージして感情的な反応をしてしまいやすいものですが、報道は報道するものの利益に基づいているから、それなりの目的もありえます。

痛ましい事件が暴力防止というキャンペーンに使われますが、そのキャンペーンはどういう結果をもたらすか・・そのあたりを冷静に検証しなければ、キャンペーンに賛同した意図と反する結果になりかねません。

そもそも、DVや虐待は増加しているのか減少しているのか、警察の統計から見ると、虐待死はこの半世紀で十分の一くらいに減少していますし、この最近十年でみても、およそ年間百件から六十件に減少しています。けれど、通告件数はこの十年ほどで千件ほどから六千件くらいに増加しています。

虐待防止法以前も以降もどんどん虐待事件は減っています。が防止法以降通告件数は激増しています。これをどうみればいいのでしょう。防止法が減少に寄与しているのかいないのか、はっきりわかりませんが、防止法以前もピーク時にくらべ十分の一に減っています。

ということは、特に防止法がなくても減少しているかもしれません。なのにどうして防止法を作りキャンペーンを行うのでしょう。防止法は通報に基づく親子分離を骨子としています。子供の保護を目的とした施設入所です。

実は保護施設は公的施設・民間委託、何れにしても行政予算によって運営されています。施設は当然保護児童・幼児が居なければ予算がおりませんし、施設を維持することはできません。施設維持のためには、被虐待児が必要になるわけです。

半世紀前は虐待も多く、それなりに施設が作られましたが、虐待が減少し施設維持が難しくなると、子供をいかに問題の親から分離保護するか、これが児相の仕事になつてしまいます。いわゆる子取りがその仕事になるわけです。

本当は虐待予防には、ハイリスクな家庭に対する暖かくきめ細かなサポートが一番有効です。それは、権力行使を伴う専門家ではなく、日常的な人間関係を良好に維持する近隣の支援です。親が孤立しないような支援です。

けれど、通報に基づく分離処置では、親は孤立し通報されないよう、子供を施設に取られないよう、虐待を隠蔽し、支援から離れていきます。結果虐待が深刻化します。また施設は一旦保護した子供はある意味金ヅルですから、簡単には手放せません。もちろん家庭復帰して事件が起こることもありえますから、その判断は重要です。また家庭復帰した後の親支援も大変です。なぜなら通報が増えてますから、その対応に追われて、予防的な支援に関わることができないのですから。そんなこんなで施設は子供を返したくない、返せないということになりがち。

私は、専門家の話もいろいろ聞いてきたけれど、その話よりも、当事者の語りの方がより本質的な理解になりました。その親たち、支援の薄い中で、頑張って子育てしているのに、偏見に満ちた通報、行政処置で、子供を取られたまま、子供を返してもらえないと涙で語ります。裁判で争っても、施設の情報はのり弁でしかもらえず、裁判所は行政批判はしないので、当事者は勝てません。

専門家は、虐待する親の問題とし、子供を分離したがります。問題の親を指導教育したがります。たしかに当事者は家族間暴力や貧困、依存など、様々な困難を抱えていることが多いけれど、それは、社会病理の症状に過ぎず、当事者の問題というより、政策や経済の問題です。賃金問題、労働環境、差別問題が解消されれば虐待は減少します。おそらくこれが防止法以前に虐待が減少した理由でしょう。

虐待一つ見ても、その現実は複雑ですし、巧妙な闇の世界につながっています。単純な正義感で判断する世間の人たちの判断が本当に虐待を防止することになるのか、冷静に考えてほしいものです。

(参考: 「児相利権」https://www.amazon.co.jp/児相利権-「子ども虐待防止」の名でなされる児童相談所の人権蹂躙と国民統制-南出-喜久治/dp/486014077X

他、DVやら性犯罪やらもダイジェストでおしゃべりしました。それらについてはまた明日。

ミニ講座の後は、グループワーク1 でお題は「私ってどんな人?」でした。ナラティブセラピーの手法の一つ「リフレクティング」を応用したワークです。

昨日のセッションでは面会交流支援も兼ねましたので、結構賑やかに・・・

ワークの後もカウンセリングを何件か行って、帰りのバスも夜遅く・・バスは七時間後に未明の京都に着きましたとさ。おつかれさーん。