日本家族再生センター

ブラックな私・・・

昨日は酷暑の中子連れのママたちが集まっての女ワークでしたが、男性も二人、スカイプ参加も二人で8名ほどの集まりとなりました。

お題は「私の依存」です。依存と趣味とこだわりあるいは相互扶助と、その境界は曖昧です。

虐待とかネット動画とか、顰蹙買ったりするようなことにハマってたり、やめられなかったりすることがあるけれど、それは人に相談することもできないし、相談したところでやめなさいと注意されるだけのこと。

となると、やめたほうがいいれどやめられない、どうしよう、と悩むほどに依存に逃避しまって悪循環になりがち。

で、ワークで語り合う内に、世間で語れないブラックな行為や性格などをそれぞれが語り始め、私も、私もとブラックネタで盛り上がりました。

語ってみれば、これくらいいいよねっ、大きなことになっても無いし、なんとかバランス取れてるし・・などなど、で一見その行為を認めているような会話になり、世間の価値観からは逸脱する場の雰囲気になっています。

ここで、正論で人を指導するファシリテーターがいれば、その流れにストップをかけて、ブラックな言動を否定してしまうでしょうし、それはそれぞれの自己表現を抑圧し自己肯定感を下げてしまうことにつながります。

ファシリの自己満足のために正論を押し付けるなんてことは、私にはできるはずもなく、一緒になってそのブラックな会話を楽しむ私でした。

自分の中の様々な感情を抑圧することなく、受容し共感しあうことで、それぞれの自己信頼感、自己肯定感が高まり、ブラックな自分をうまくコントロールできるようになりやがて葛藤が減じます。問題が問題でなくなるという現象が起こるというわけ。ほんと人の心はパラドックス。

たまたま、そんなことを書いてる今テレビ番組でオウムの死刑囚の死刑執行が法務省によって発表されました。悪い奴は死刑だ、ほらよく見ろ・・北朝鮮の公開死刑を笑えない法務省のやり口。

臭いものに蓋、ブラックな奴は見せしめ処刑、こうすることで、世間の不満や怒りを昇華させ、政権のブラックに思い至らないよう情報操作してるんでしょう。けれど、それは問題の先送りにしかならず、問題はよけいに深く醜くなるんよね。ほんとは処刑ではなくて、語らせること、真実に向き合わせることが問題の理解と発生予防になるけれど、真実を国民が理解したら、ブラック政権は不都合だしね。まっいいけど。

そんな安倍自民の泥舟日本丸、いずれ沈没するだろうけれど、早く気づいた方は救われるかもね。気づかないで心に蓋し続けてる人は、最後まで泥舟にすがって溺死かなあ。泥舟の安倍船長・保守船員は、沈む前に脱出ヘリでトンヅラでしょ。そーいえばセウォウル号事件ではそんなことあったな。日本丸もそうなるのかな。まっいいけど。