日本家族再生センター

思いわずらうな・・空の鳥、野の百合のように

今日も何人かの方のお話を聞かせていただきましたが、いずれも夫婦間葛藤にまつわるお話。

思うに任せない相手の態度に心乱され、不安になったり怒りになったり。多くの人は問題は相手にあって、相手を変えようとするけれど、すればするほど、相手との溝は深まり、お互いに傷ついていく。

それがわかる私は相手の問題ではなく自分の問題として考えることをお勧めするけれど・・・いずれにしても自分の不安や怒りが自分の問題であることは、なかなか受け入れられないのもよく分かる。それだけ傷ついてたり、不安を煽られてきたのだもの・・産まれてこのかた何十年も。

私もずっとずっと昔、実存不安という不安に取り憑かれて片時も逃げることはできなくて、いつもアルコールで逃げていた。結局逃げきれなくて、とことん追い詰められた時に、やっと全てを手放すことができました。

明日を思い煩うのはやめよう・・・明日死ぬなら、それまで、今日を精一杯生きていればいいし。仕事も金も、家族も、そして自分の命も全て、手放して考えることができた時、やっと不安から逃れることができました。

私が私であるために必要なものは与えられるし、歩むべき道もそれなりに導いてくれるというもの。そして私に与えられたのは言葉でしょうか。カウンセラーになろうとかましてや人を助けようなんて、さらさら思ってなかったけれど・・・人の話を聞かせてもらってるうちに、カウンセラーと自称するようになり、それなりの施設を設けることにもなりました。

私が特に忍耐したわけでもないし努力したわけでもなく、ただ湧いてきたイメージや言葉に任せて、やりたいようにやってきただけ。もちろん明日はどうなるかわからないけれど、それもまた思し召のままに、心の赴くままに。

こんな私だから、お話を聞かせていただくその方の、あるがまま、そのままで、相手がどうあれ今のあなたでもう十分、値打ちも意味もありますから、どうぞ思い煩らうことのないようにと・・無責任なようだけれど、そのことをお伝えしたくなります。

でもそのことを伝えるのはとても難しい・・・多くの人はいろんなしがらみの中で自分の姿を紡いでいるから、しがらみを捨てた裸の自分をよしとする勇気も自己信頼もなくて当たり前。人が人であるが故の悩みや困難でしょう。

空の鳥、野の百合のように生きるには・・その力をどうやって得るのか、無力な私には、それをつたえるのもまた難しい・・無理ですよねえ、野の百合のように生きるなんて・・・

今日はほんとにひさびさに仕事は半日休日として、お昼過ぎまで自宅で庭木の枝払いをしました。南天、紅葉、酔芙蓉、椿、コニファーなど、育ち過ぎた枝をバッサバサと斬りはらいました。

枝払いしたけれど、時々やってくる野鳥が困らないように、餌台を設けました。インコの余った餌を野鳥にあげようというもの。空の鳥も、餌があれば喜んでくれるでしょう。