私の仕事柄、生きる意味、苦難に耐える力を失った方のお話をお聴きすることは少なくありません。
積極的に死にたい、いわゆる希死念慮に囚われている方もおられるし、そこまでは思わないけれど、しがらみを考えると死ぬに死ねないのでスッと消えたいとか、災害に巻き込まれて死にたい、なんて考える方もおられます。
これまでにも薬物の大量服用の途中で電話かけてこられた方や練炭に火をつけて電話してこられた方もおられますが、電話してこられたということは、どこかで生きる意味を模索されていたのかもしれません。幸い、その方たちは運よくだか運悪くだかわからないけれど、死に至る前に発見され死を免れました。
昨日の報道でも、日本人の自殺率は全体では減少したけれど若者の自殺は増えたとか。どうして若者が死ぬのか、私にはわかるような気もします。もちろん若者に限らず、お聴きする死にたくなる人たちの気持ちもよくわかります。
お聴きするほどに、生きてられないよねえ、と死にたい気持ちに共感を覚える私。とはいえ、生きてられないと感じるのはその状況の問題だけではなく、その方の認知やらスキルの問題があることもわかる私。
できることなら、認知を変えスキルを獲得し、厳しい状況をしたたかに乗り越え生き抜き幸せを獲得して欲しいもの。
私に繋がってくれていれば、時間はかかってもきっとしあわせになれるから、とお伝えするし、実際に多くの当事者が困難に耐え、辛さを乗り越えしあわせを獲得してくださいます。
けれど、世間では自殺問題を死にたい人の個人的な問題に矮小化し、簡単に「死んじゃダメ、命を大切に、負けちゃダメ・・」などなど勇気付けるつもりで、実は当事者をより絶望させる言葉を伝えてしまいます。
当事者はそんな言葉が欲しいのではありません。死んでもいいよっていう言葉か、それに続く、こうすれば生きていけるよ、という具体的な戦略でしょう。
頑張るとか、耐えるとか・・そんなことはずっとやってきてどうにもならないから死にたくなるのであって、問題はその人の努力の問題ではなく世の中の差別意識やら経済問題、福祉問題なのですから。
先日も、 OD(大量服用)絡みでトラブルがあったけれど、気づいた方が私にすぐに連絡してくださったし、大きな問題にならずに済みました。とはいえ、私は「命の電話」ではないので、誰でもいつでも繋がれるわけではありません。私との信頼関係を前提にいつでも繋がれる支援にさせていただいています。そんな方には、こちらから見捨てることはないって伝えるし、いつでもどんなことでも一緒に考え、時には共犯者にもなりながら生き抜く方法を考えていくというもの・・それがまた私のスキルアップにもなるし・・
そんなん支援としては大変すぎるのでは? なんて聞こえてきそうだけれど、そこまでやるから面白いし、当事者は私を信頼して、困難に耐える力を獲得してくださいます。その回復の物語を共に紡ぐのは支援者としては何よりの誉れであり尊厳でもある・・というとかっこつけすぎかな(笑)