昨夜の男ワーク、寒い中、久しぶりの方や女性も含めそこそこの集まりとなりました。
ファシリはテルさんワークのお題は「聴けてる ? 体のメッセージ」でした。
体に聴く・・・・近代の価値観、特に男たちが陥りやすい価値観は、身体や感情より理性や思考の方が優越していて、身体や感情は解放すべきではなく、理性でコントロールすべきもの、との価値観です。体操という言葉に集約されるのかもしれません。
実はこの価値観、人類普遍のものかといえば、そうではありません。近代合理主義がはびこって以来だから、欧米でもたかだか数百年、日本でも百五十年の歴史しかありません。長い人類史でいえば、近代以前の価値観の方がはるかに長く普遍的。だって、人類の歴史・・・直立二足歩行から数えたら400万年だし、ホモ・サピエンスになってからでも十万年ほどの歴史を生きてきた価値観は前近代の価値観です。
十万年前の人も現代人も脳の構造はほとんど差はないでしょうけれど、行動は随分異なります。それは人の赤ちゃんの誕生以来赤ちゃんや子供が周囲から学ぶ情報の違いが、情動や行動の変化をも促す、といえるかもしれません。
いろいろ学んで、幸せになってれば問題はないけれど、立派な大学を出ているのに、不幸な人生を送ってる人はごまんといるでしょう。私のところにやってくる方にも何のために生きているのかわからないという人も少なくありません。何を学ぶか・・とても大切・・・ここでいう学びとは学校教育だけのことではなく、広く生育における家庭や地域も含むあらゆる情報や体験を含みます。
で、近代の価値観は、身体や心を置き去りというか、抑圧する要素が強く、体や心がうまく育たず壊れやすくなっているのではないか、と私は考えます。たとえば、腹減ったとか眠いとか、エッチしたいとか・・いろんな衝動・・情動があるけれど、それらがかなり窮屈な状況になる価値観に縛られてて、自分の身体感覚を受け入れられず、心と体が不一致になる人が多いようです。
で、ワークの中で、私が語ったことは、心は体の出入り口、とか心と体は続き物とかいう概念だけで、体のメッセージがどんなものかってことには触れませんでした。うっかりわすれてたかな。そんな私、体や心のメッセージを常に意識しているので、心や体と意識が不一致になることはなくて、すごく楽に暮らせてるってことを話しました。ほんと、状況の問題ではなくて、認知、心の問題なんだよね・・
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