世界は量子的・・・私たちの常識や科学的理解では納得しづらい量子世界の現実があります。その世界を現代科学はやっと覗いてみることはできていますが、まだまだ全てを理解できているわけではありません。その未知の世界と、常識的にはありえないとされる世界がどこかで繋がっているのだろうと考える私。
例えばUFOの話、頭から信じようともしない人もいるし、そんな話をバカにする人もいたり。けれど、自分の目で見てしまった人にとってみれば、自分の体験をあれば夢だったと、ないものにしてしまうことも可能だし。言っても通じないから誰にも話さないでおこう、という人もいるでしょう。あるいはバカにされてもいいから、体験した事実を人に伝えようとするのか・・・
これはUFOだけの話ではありません。幽霊を見たとか、死者の声が聞こえた、などなど・・・ありえないとされる体験をした人にしてみれば、それを自分でどうするか、悩ましいところでしょう。
実は私三度のUFO目撃体験をしているので、もう自分では自分を偽ることもできないし、かといって黙っておくこともいやだし・・・いわゆる胡散臭い世界の人たちの胡散臭さに染まってみるのもいいかと考えています。
例えば150年前の世界では、空を飛ぶ人なんてありえないし、それを妄想する人は狂人でしかないでしょう。けれど今、飛行機は当たり前だし、ムササビのように滑空するスポーツも知られています。狂人であるかフツーの人なのか、それは時代で変わるし、本質はマイノリティーかマジョリティーかというだけの話。狂人と言われて飛行機を飛ばした人は立派だと思うし、今変人・狂人と言われている人もまた、実はすごい可能性を秘めている方かもしれません。
UFOの話に戻りましょう。私は自分をスケペで変態、やってもないセクハラで民事提訴された当事者でもあり援助者、とカムアウトしています。私を貶めたい人は勝手にあれこれ言い募ればいいし、それにあえて反論も抵抗もしません。こんな私ですから、自分のUFO体験を語ることはどうってことありません。
以前にも書いたことですが、スティーブン・グリアの著書は胡散臭い内容だけれど、私は彼の体験を否定しないし、むしろそのありえない体験についてもっと知りたいと思うということ。で彼の言うCE-5、積極的UFOコンタクトを自分なりに実践しているつもり。だって、もう三度も体験したら、もっとあるかもーと思うのが人情。
で、ことあるごとに意識を宇宙に向けてもいるわけですが・・・・実は昨日の乗鞍ハイキングもせっかくですからマイイベントにしちゃいました。「UFOちゃん出ておいでー」とおバカにも念じ続けるのです。満天の星空の下、ご来光を臨む頂きへの山道を歩きながら・・・。
ご来光の時間あたりには、もう意識も視線もご来光の方に向いてて、しばらくUFOのことは考えていませんでしたし、特に変わったこともありません。陽光の神々しさの感動を胸に納めて下山したというわけ。
で下山して、別のところでご来光を迎えたハイキング仲間と雑談してて、ご来光の写真撮れたよー、でもこれなんだろ、という話になりました。数分おきに撮った4枚の同方向の写真の一枚にだけ、明るい光点が写っているのです。星にしては明るいしでかいし、4枚のうちの一枚にだけだし・・・もしや・・
これをどう考えるか、それは自由です。でも、私は私の念が多少は通じたかな、と考える次第。これからも地道にやり続けるしかないよねえ。
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